その歴史のつづき 樺太からサハリンへ 2009 後藤 悠樹さん

後藤さんは2007年に日本写真芸術専門学校を卒業されていますが、この樺太(サハリン)の取材はいつごろから?

在学中から取材に行きました。当時19.20歳くらいだったと思います。バックパッカーをしていた友人からインドやタイなどの 情報をよく聞いていたこともあり、一般的な場所ではないところ。と日本に深い関係があるところ。そして何故か寒いところ。
(北の大地にすごい憧れが昔からありましたね。)

何故、樺太だったのでしょうか?

先ほど申し上げた条件をクリアしたのが樺太=サハリンでした。しかし、実際に足を運ぼうとすると非常にハードルが高かったですね。「観光VISA」で入ると、2週間の滞在期間で事前に提出している行動予定表の通りにしか動けないので、取材範囲がすごく狭かった。しかも宿泊ホテルが「外国人旅行客価格」でべらぼうに高かった。これにはびっくりしました。翌年も同じ「観光VISA」で取材をしましたが、ぜんぜん撮影が出来ませんでした。
当時はすごくもどかしくて、テーマや被写体は興味深いのに、写真の形にならない。ちょうど卒業の時だったのですが、精神的なダメージが大きかったのを今でもよく覚えていますよ。
卒業後、やっぱり長期滞在しながら取材活動を行いたい思いから、さまざまな所にアプローチしました。また、樺太=サハリンをのことをよく知るために、あらゆる文献を調べたり、韓国にも取材に行きましたよ。当時、樺太に強制連行された後、終戦後韓国に帰国した方々に実際お会いできました。今回の写真展の中には入っていませんが、非常に興味深いお話を聞かせていただけました。
やっぱり現地で取材活動をした時、「知っている」ので撮る。のと、「まったく知らない」で撮るのだとすごく大きな差が出てくるんですよね。
結局、ビジネスVISAの取得に動き出して、本当にさまざまな方のご協力を得て無事に取得出来、5ヶ月間の長期滞在が可能になりました。
ラッキーな部分も多々ありましたが、本当に感謝ですね。

実際の取材中のエピソードは?

サハリンの滞在中は「在サハリン北海道同人会」と言う在留日本人の会の方々に大変お世話になりました。みなさん優しい方々ばかりで・・・またお会いしたいですね。
取材で様々な方にお会いしましたが、朝鮮系の方にお会いした時は、何だか罪悪感に駆られてしまい、上手く写真が撮れなかったんです。でもそんな時そのお婆ちゃんの方から「はるちゃんは何も悪い事していないのだから、そんなに負い目を感じる事は無いよ」と言ってくれました。それからは気負うことなく取材が進められました。
昨日、北海道新聞の方が取材に来てくださって、今日の北海道新聞朝刊に掲載されました。
実は北海道新聞にはサハリン支局があって、現地の方々も日本領事館を通じて購読する事が出来るんですね。なので、滞在中にお世話になった方々にこの記事を読んでいただけるのはすごく嬉しいですね。

これからの作家活動についでどのようにお考えですか?

今回、「樺太=サハリン」の取材を通して、北方領土の出身の女性の方にお会いすることが出来ました。また、シベリア抑留を経て現在も現地に住まわれている人々もいらっしゃいます。日本ではだんだん馴染みの薄い問題になっていますが、こういった問題に取り組めるのは数少ないジャーナリストだけではないでしょうか。
ただ、今の生活を振り返ると、「果たしてこのまま作家活動を続けてもいいのか?どうか?」と言うのはすごく悩みますね。生活のためにスタジオで広告写真を撮影していますが、これはドキュメンタリーからするとある意味「真逆の世界」だったりもするので。今は自分の中でも葛藤しています。

これから写真の世界に入る人へコメント

先ほどお話したとおり、ジャーナリスト・ドキュメンタリーの世界では普通の生活では体験・経験できないことが多く、本当にすばらしい事だと思います。しかし、生活していくとなると非常に厳しいものだと思います。

みなさんが、どのようなジャンルのカメラマンになるかわかりませんが、ぜひ頑張ってください。

6月1日(火)〜6月7日(月)  新宿Nikon Salon 8月5日(木)〜8月11日(水)  大阪Nikon Salon

このページを閉じる