インド中部にあるこの地域ではこのようなことが、約10年続いているそうです。終わりが見えません。僕は何故このようなことに
なってしまっているのか?を取材するために行きました。実際に取材している間にも、何人かの方々が自殺をし、葬儀が行われていました。
その葬儀のときに小鳥の鳴き声が聞こえてきました。普段日本で生活していると葬儀の最中に鳥が鳴くことはないですよね。
そんな違和感から副題-tears and birds twittering-をつけました。
高校生のときから友人のポートレートを撮影していました。人を撮るのが好きですし、ポートレート写真を見るのも好きなんです。
Rineke Dijkstra氏の作品や、鬼海弘雄氏の作品など好きでよく写真集をながめています。多摩川でもポートレートをよく撮ります。
共通しているといえば、そうですね。
今回の写真展では見せ方も工夫しています。よくご覧になってみるとわかるのですが、ポートレートにはスポットライトをあてていません。
また、ギャラリーの空間に合わせて、展示の順番や見せ方も考えました。
自殺してしまった家長の夫人だったり、息子や娘さんにお話を聞いたり写真に撮るという行為には申し訳ないというか罪悪感みたいなもの
を感じました。実際、取材中に涙を流しながらお話されているので。ただ、「ジャーナリスト」として、使命感を持って取材している。
という感じはあまり持っていません。この問題を知っていくと誰が悪いかはわかりかねます。ただ、今回の取材で言える事は、
「女性の逞しさ」です。これには本当に頭が下がります。
先ほども申し上げましたが、誤解を恐れずに言ってしまうと、今回の写真展にしても決してこの惨状を広めて何とかしたい!と言う思いは
それほど強くはなく、彼らとの取材の中で生まれた責任感によってOUTPUTしているという感じです。それ以上のものはあまりありませんが、
少なからず何かの切っ掛けになってくれたらと言う淡い期待も勿論あります。彼らもNGOと組みながらムンバイでデモをしています。
そういうことではないでしょうか。
今回の取材を通して感じたことは、地域の人々が「自殺」と言うものに慣れている感じがしました。彼らの信仰では、『自殺したものは
葬儀が出来ない』と「マヌ法典」という本を読んで知っていましたが、実際には彼らは寿命や事故死、病死と同様に自殺者にも手厚く葬儀を
しています。自殺という死に方が日常になっているのではないかとも思えてきます。
今回の取材はこの写真展で一区切りです。僕の希望としては先にも述べましたが、色々なものの「良いもの」も「悪いもの」も見たいです。
それは多摩川でもそうなんですが、なるべく全てを公平に見たいと思っています。また、インドについても5つくらいのテーマのうち1つ目
が終わったので次の取材に入りたいと考えています。
僕は高卒後すぐにII部(夜間部)に入学しました。20代後半の方も多く、幅広い年齢層の方がクラスメートだったので、非常に刺激的でした。
鈴木先生の授業では色々な考え方を教わりました。今はアルバイトをしながら作家活動を行っておりますが、ルポルタージュの世界で食べて
行こうとなると難しいです。また、1人でずっと作品制作をしていると不安になる場合もあります。そんなときは先生方にアドバイスを頂いたり
ポートフォリオレビューに参加したり、クラスの友達とも仲が良かったので、突然ふらっと家に立ち寄って酒を飲んでます(笑)