「零度の領界」冨永 晋 写真展

冨永さんが日本写真芸術専門学校に入学しようと思ったきっかけは?

入学する前は本当に写真に関しては"ド素人"でした。
大学3年の時にヨーロッパを一人旅して色々な美術館巡りをしました。オルセーやルーブルなど・・・当時は彫刻にも興味がありましたね。元々は芸大に進学したかったのですが、両親の影響もあり大学は一般の4年制大学へ。こう見えても中学・高校の社会科教師の免許を持っているんですよ。
大学卒業後、教師として就職しようとも思いましたが、地元宮崎で就職すると県内から動けなくなるので。大学時代に体験した"旅"をたくさんしたいと考えておりました。
東京で知り合った先輩は、映画監督になる夢を持っていて、専門学校に通っていたので、いろいろな話を聞きました。映画はチームで作る感じがしていて、僕的には非常に単純な考えで、「写真だったら一人でできる」などと考えていました。
でも、実際に入学すると『難しい!』と感じました。(笑)

2002年3月に報道写真芸術科で卒業されました。

入学したときの担当の先生から自分の書いた作文について『そんなに真面目に考えなくても良いよ。もっと自然体で』とアドバイスされたのを覚えています。
一年次に鈴木邦弘先生に会い、そのまま2年次でも報道写真芸術科の鈴木ゼミに進級しました。そこで、たくさんの写真集を観たりすることが出来ました。

この作品はいつごろから?

三宅島は2000年に雄山が噴火。2005年には避難指示が解除されました。私は2006年から入島し、その後定期的に撮影しています。作品を撮り続けながら、鈴木先生にも作品を見て頂きました。
三宅島には、竹芝桟橋からフェリーで8時間くらいかな?夜に出港し翌朝に着いたら早速取材と撮影。4×5(シノゴ)という大型カメラ使っていますのでレンタカーを借りて移動しています。
もう本当に最初は好奇心だけでした。ニュースを見て、『すぐ行こう!』と、それから5年の歳月が流れましたけどね。

現在は?

もう本当のフリーカメラマンです。ブライダル撮影の仕事をメインでしていますが、その他にも色々仕事していますよ(笑)
写真の作品制作は一人で出来る事が本当に良いと思いますね。いずれは写真集も出したいですね。

これからの活動について。

宮崎出身なので、戻って新燃岳も撮影したいです。先日宮崎でも個展をする事ができて、地元新聞社にも取り上げられたんですよ。あとは震災の爪痕なども取材したいです。

みなさんに伝えたいこと

鈴木先生がおっしゃっていましたが、『やり続けないと意味が無い』と。結果は1回で出せるかもしれませんが...「やめないで、撮り続けたからこそ結果がある。」と。
これから写真をやるのであれば、最後カタチになるまで続けてほしいです。

2011年11月19日(土)〜11月29日(火)コニカミノルタプラザギャラリーA コニカミノルタプラザ

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