「泉の森」福田健太郎 写真展

日本写真芸術専門学校に入学しようと思ったきっかけを教えて下さい。

私の親友が夜間部の在校生でした。その友人に勧められたのがきっかけです。 もともと写真はやっていました。入学する前からアルバイトでウェディングスナップの仕事をしていました。だんだんと写真を一生の仕事にしたいと思うようになってきて、どうせなら一度は本格的に勉強をしておきたいと思うようになりました。
他校も見学に行きましたが、日写は設備が良かったのを覚えています。設備を見て、学ぶ環境に気を使っている学校だと感じました。学校見学の印象に友人の勧めもあって入学を決めました。

在学中はどのように学生生活を送っていましたか?在学中の思い出は?

夜間部でしたので、昼間は働いていました。仕事が終わった後、夜は勉強に来ていました。1年生の頃はガソリンスタンドでアルバイト、2年生からは富士カラーのデジタルラボで契約社員として働いていました。

卒業後は師匠のところに就職させていただきました。ちょうど写真がデジタルに変わっていく時期で、師匠が所有するスタジオのデジタルへの切り替えなどもアシスタントとしてお手伝いさせていただきました。

私は学科を変更しているんです。入学時は広告・肖像写真科でした。その後、報道・写真芸術科に転科をしています。私の印象ですが、広告肖像では技術的な部分は学ぶことができましたが、学校では写真の考え方や読み方などを中心に勉強したくなり転科を決めました。 大日方先生の映像表現論は感銘を受けましたね。写真の楽しさを教えてもらいました。

この作品はいつごろから撮影されていますか?

ニューヨークに半年ほど滞在していた2007年に撮り始め、再び戻って2010年に撮り終えました。

なぜこのテーマにされたのですか?

私は昔、ワーキングホリデーでカナダにいたことがあります。カナダもニューヨークと同じように移民で成立している国です。様々な国からやってきた様々な背景を持った人々が助け合いながら共存していました。その人々の姿にとても感銘を受けたことが自分の原体験になっています。
ニューヨークにいた当初は英語学校にも通っていました。移民の人のためにボランティアで運営されている学校です。そこでは英語だけではなく、ニューヨークで生きていくための社会科のような授業もありました。その授業の中でニューヨーク市の統計局がまとめた移民の出身国のランキングを知り、全米のランキングはとかなり異なっていることに興味を持ちました。これを切り口にニューヨークという街の特徴を表現できればと思い、ランキング内の国から移民した家族の肖像写真をそれぞれの家におじゃまして撮影させていただきました。
タイトルの「COMMONAGE」とは「共有地」という意味です。 私はリチャード・アヴェドンが好きです。今回の作品はオーセンティックなスタイルのポートレートを撮ろうと思いました。ナチュラルなスナップではなく、被写体にある程度緊張を与える撮影を意識しています。「日本からフォトグラファーがやって来て、あなたの家族写真を撮るよ!」っていうシチュエーションと機材選びですね。

これからの活動について教えて下さい。

クライアント、アートディレクター、エディター、ヘアメイク、スタイリスト、モデルなど沢山の方々と一緒にモノを作る喜びを共有できる商業写真はずっとやっていきたいです。
作家としては世界のマーケットで取引されるような作品を制作したいですね。
今後の作品については検討中です。

みなさんに伝えたいことはありますか?

・写真家を目指す皆様へ
日本写真芸術専門学校在学中、恩師である倉持先生がいつも仰っていました。
「写真は裏切らない。写真はやった分だけ返してくれる」
私はずっとこの言葉に支えられてこれまでやってきれました。
この言葉を信じています。

・作品をご覧になっていただく皆様へ
日本は少子高齢化にともない労働力を海外から補うという政策のもと、日本に住む外国人は今後も増える見込みですが、そんな日本にとってニューヨークで共存する人々の姿は大切なヒントだと思っています。しかし3.11の震災以降、日本の状況・意識が変わり、私にとって作品が別の意味合いも持つようになりました。今後、日本という土地に人が住めなくなり、日本人が移民でなく難民として海外に移住せざるおえない状況にならないよう、自分が出来ることをしっかりやっていきたいと思っています。

―土屋さんの作品が観られるサイトは http://tomoyukitsuchiya.com/ です。 また、土屋さんが主催しているサイトでTシャツ販売を行っております。 是非こちらもご覧下さい。 http://www.phattree.com/
新宿Nikon Salon

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