「関西札遊び」木藤 富士夫写真展 | 写真の専門学校 日本写真芸術専門学校

穂積さんが日本写真芸術専門学校に入学しようと思ったきっかけは?

高校時代、俳優になりたくて芸大を受験したのですが、落ちました。確か当時で倍率が22倍くらいだったと思います。
で、次に考えたのが滑り止めの専門学校。学校案内等を取り寄せている時に日本写真芸術専門学校を知りました。
写真を撮るのは"かっこいい"し、人と違った事がしたい事。又、海外に行きたい。ことなどから、日本写真芸術専門学校の3年制フォトフィールドワークゼミがすごく魅力的で、家族に相談もしましたが、「高校卒業したら東京へ行け!」的な感じであっさりと。ジャンルは問わず、好きな事を応援してくれる家庭だったので感謝しています。

フィールドワークゼミに入学したのは?

学校案内やパンフレットを見る限りでは楽観的にとらえていたのですが、入学したらすごく本格的で(笑)。そんなギャップはありましたけど、1年生の頃はすごく充実していて楽しかったです。 -- その時はどんな作品を創っていたのですか? -- とにかく"かっこいい"写真を。自分でテーマを決めて。
・高速道路からの車窓→これは作品になりました。
・狛犬をタイポロジーで撮影。ベッヒャーの作品をモデルにしました。
 タイトルは『俺の声が聞こえるか』でしたね。(笑)
・女性ポートレート写真にも挑戦。ナンパして撮影をお願いしたのですが、
 だいたい20人で1人撮影出来るか、出来ないか。成功率の低さに諦めました…(笑)
2年次からは海外フィールドワークのプランニングも始まって、真面目路線にシフト。アジア学院での国内フィールドワークも、今思えばすごく良い経験でした。
自給自足の生活など今まで体験した事無かったですから。講師も鈴木先生や飯塚先生、長坂先生は厳しかったですね。

海外フィールドワークでこのテーマにしようと思ったのは?

実はテーマを決めるのが遅かったんです。プランニングの時には、工業地帯【工場萌え】やロボット、機械。
理系が好きだったという事もありますが…あとはダムや巨大建築などの重厚感のあるモノ。宗教や都市部【ビルの乱立】等も候補に挙がりましたが、最終的には環境問題に着地しました。
一言で環境問題と言っても、土壌・水質・大気・ゴミなどたくさんの対象があります。
プランニングでは、そういった場所を見つける事と、それが問題になっていると言う確証が大事でした。

海外フィールドワーク中のハプニングなどあれば教えて下さい。

まず、行ったことの無い世界なので、何が起きるかわかりません。撮影を始めると行列ができる撮影ポイントもありました。
まず日本では、考えられないシーンでした。インドは皆さんフランクでとても良かったです。インドの環境問題があると言われている場所に行ったのですが、想像よりも凄くキレイで、撮影モードのスイッチを切ってたっぷり遊んだ事もあります。逆に沼や湖が汚いと興奮し、夢中で撮影するので、今考えると周りの見物客は不思議なカメラマンと観ていたのではないでしょうか?

卒業してから感じた事。

海外フィールドワークの時から、語学力不足だと痛感していて、マレーシア語学留学特待生に応募して、卒業後1年間マレーシアへ。英語を勉強しながら作品制作に励みました。 同級生の椿武佐志くんとは良きライバル。インドのスラム街を撮影しているのですが、切磋琢磨しながら互いに意見をぶつけます。野尻浩行くんも写真家として活動していて。刺激になります。

これからの活動について。

海外のキューレターに作品を見て頂こうと考えています。海外でも環境問題をテーマに撮影している写真家が少ないのが現状です。カナダ人写真家、エドワード・バーティンスキーの写真展を東京都写真美術館で開催していたのが、僕がフォトフィールドワークの2年生でプランニング中だったことも大きな運命だと感じています。 この写真展の後は、就職します。ただ写真家としてやっていきたいので、お金を貯めたいと考えています。環境問題は一生続けていきたいテーマです。

みなさんに伝えたい事。

僕は、人と同じ事をやっていてもつまらない。と思います。大事なのは『自分のやりたいこと』で、やりたい事が出来たら、とことん突き進んだ方が良い。と思います。 是非皆さん頑張って下さい。

富士フィルムフォトサロン東京

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