「遠い記憶」冨永晋写真展 | 写真の専門学校 日本写真芸術専門学校

作者の父親は大韓民国の揚口で生まれた。 
作者は小さい頃に、祖父と祖母から戦争の話を聞いた。祖父は獣医師として祖母を伴って大陸へと渡った。そして、父親が生まれ1945年8月15日に戦争が終結した。祖父母は生まれたばかりの父親を抱え、必死に日本に帰ってきた。 
祖父母も他界し、父親も年を取った。 
作者には、二人から聞いた話と残してくれた当時の写真や手紙しかない。 
父親が生れた土地はどのような場所なのだろう。 
祖父母は帰国する時が大変だったから、暮らした所に行ってみたいということはなかったようだが、父親は生まれて直ぐに帰国したからか、一度は行ってみたいとつぶやく事が増えてきた。 
父親と二人で父が生まれた場所に行き、その後、一人で再度撮影に向かい、当時のことを知っている人や同じ職場で働いていた人と会うことができ、ようやく当時住んでいた場所も見つけられた。 
本展では、作者が見たいと思った引き揚げ時の祖父母の見た景色と父親の生れた揚口から日本に戻ってくるルーツをたどる旅の作品を展示する。っている人間の無力を捉えた作品は、ひとの「尊厳」を見事に描き出し、従来の紛争地でのドキュメント写真とは一線を画した方向性を示している。

前回のインタビューから1年半が経ちましたが...変化など

う〜ん、特にありませんね。

作品について教えて下さい。

-この作品はいつごろ撮影されていますか?- この作品は2010年くらいから撮り始めているんですよ。 -え、じゃぁ、三宅島の写真展の時には始めていたのですか?初耳でした。- そうですね。三宅島とかと平行してやっています。実際に親父と韓国にも行きましたしね。 その後、僕自身1人で韓国には取材に行っています。楊口(ヤング)のインフォメーションセンターの方、市役所の方々、とにかく皆さんで父や祖父の手がかりを探してくれました。夜は市役所の方と酒を酌み交わして、本当に父の生まれた場所を探し当てられたのは、もう本当に凄いというか、奇跡的というか。すごく良かったです。

作品展を開催して感じたことはありますか?(前回も含め)

やっぱり写真を人に見てもらう事は、楽しいですね。今回はプライベートな部分も多かったので、作品を意図的にセレクトしています。
でも、今の時期かどうかは悩みましたが、早くやらないと時間が無いので。(祖父の同僚や関係者たちも高齢になってきていますから)
でも、こうした繋がりは大事にしたいです。新宿にも平和祈念展示資料館があるんですよね。色々な事を知りたいですし、写真に収めておきたいですね。

これからの活動と目標について教えて下さい。

前回もお話しした宮崎の新燃岳も撮影したいのですが、警官が常駐していて、中々前に行けないです。三宅島もありますが、震災の記録も続けたい。毎年3月下旬から4月にかけて個展をやるので、是非良かったら観に来て下さい。キチジョウジギャラリーで行なうと思います。
それからもう一度、父を連れて韓国に行きたいですね。どこかで時間を作らなければですね。 みなさんにももっと写真を観てもらいたいです。是非よろしくお願いします!!

- コンスタントに写真展をしている冨永さん。今後の活躍にも期待しています!!-

富士フィルムフォトサロン東京

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