「諫早 ~haha naru umi~」髙木 忠智

諫早湾(いさはやわん)最奥部の豊かな干潟の消滅から数年後、モノクロフィルムを持てるだけ携え、残された漁港の痕跡を辿り、漁民や人々の声を拾い集め10数年間、フィルムに焼き付けていった。 諫早湾干拓堤防完成後も、干拓地への農地入権者や有明海とともに生きる漁師たちの声や周辺に生きる人々の声を聞き続けた。 

日本写真芸術専門学校に入学したきっかけを教えて下さい

大学に通っていた時、1994年に起きた『ルワンダの虐殺』の事実を知り、衝撃を受け、写真家になる志を持ちました。 大学卒業後に関東にある実家から通うため写真の専門学校を探した所、渋谷という立地条件や2年制だったこと、そして何より当時の校長が秋山庄太郎先生だったこともあり入学を決めました。

在学中はどのように学生生活を送っていましたか?

ドキュメンタリーカメラマンになろうと決めていましたが、知識や経験が全く無かったので、写真学校の1年目で幅広く写真に携わり勉強できた事が私に取って重要な位置を占めました。 写真科学やスタジオ撮影、フィルムやデジタル処理など、多くの幅広い知識がフリーランスの現在でも支えてくれています。 2年生への進級時にゼミを選ぶのですが、当時、報道写真科で教鞭をとられていたのが、樋口先生と鈴木先生。鈴木先生の作品はコソボやコンゴの取材を4×5や8×10(大判カメラ)で撮影されていました。 僕にはない感覚だったので『様々な視点を勉強したい。』と思いから、鈴木先生のゼミを選びました。ゼミでは非常に有意義なものでした。 思慮深い、愛ある指導のもと、個人の視点や発想を尊重する姿勢は現在でも私の礎となっています。 入学から数ヶ月後の1年時の夏休みにはタイとミャンマーの国境に難民として逃れてきた「カレン族」の人々の撮影や、2年時には諫早湾をテーマに撮影しました。 その他にもたくさんの課題をこなしたのは良い経験でした。 また、自分の撮影スタイルを模索するために、自分のカメラだけでなく学校のカメラやレンズをレンタルして、ゴールデンウィークや夏休み、年末年始等、長期間にわたり撮影に出かけました。 そういう意味でも学校で得たモノは大きかったです。


─たくさん撮影もされて、数多くの作品ができたと思いますが、『個展を開催する。』という考えは、当時なかったのですか?─

そうですね。ありませんでした。 当時は卒業しても作品の枚数や諫早の知識等、不足を感じていましたので、『個展』を開催するという考えには至りませんでしたが、今考えるとチャレンジしても良かったのかな?とは思います。 提出して落ちる経験も、何故駄目なのか?という事を考えるきっかけになったと思います。

現在はどのような活動をされていらっしゃいますか?

今は独立した個人のフォトグラファー・フォトジャーナリストとして取材を行い、各雑誌・印刷媒体に発表しています。 岩波書店の『世界』や朝日新聞出版の『AERA』、フランスの国営テレビなど。 取材に行く前に世界各国の報道機関や出版社などに声をかけています。 美術館での作品を買い取って頂き、所蔵されたりもしています。 日本では清里フォトミュージアムに数十点所蔵されています。

フリーランスの活動だけで生活しているのですか?

自分の取材までの期間は、依頼撮影や雑誌の企画ページでの仕事等もあります。 また、卒業後この道に進んで直ぐの頃には、長期取材に入る取材資金を得る為、登山添乗や山小屋のスタッフとして住み込みで山で暮らしてもいました。 いままでの取材では、海外で生活する事も多く、ケニアのナイロビには4年間程、タイのバンコクは国際線離発着が豊富という利点から海外拠点の一つとして利用しています。 英語やスワヒリ語、タイ語などでコミュニケーションを取りますし、フランス語なども重宝しています。 現地の挨拶言葉だけでも話すようにし、常にコミュニケーションを図る様に心掛けています。

どのような経緯で今回の展示を行うことになったのか教えて下さい。

取材スケジュールを立てた時、「この時期は日本にいるだろう。」ということが分かったので、一般の公募枠に応募しました。 幸い先月のニコンと今回のコニカミノルタが決まりました。 応募は今年の春先で、決定は一月後ぐらいでした。 今回のコニカミノルタの展示準備期間は3週間しかなく、忙しかったですが心地よい達成感を感じています。 また、他人に伝えるという義務も少し果たせたと思います。

作品について教えて下さい。なぜこのテーマにされたのですか?

大学生の時、テレビで諫早湾の門が飛沫と共に閉じられている所を空撮で実況中継と共にアナウンサーが絶叫していました。 『どんどん閉まっていきます。』と。 純粋に何が行なわれているのだろう、今後どうなって行くのだろう、と、強い関心を持ちました。 また時のアセスメント=開門調査のこともニュースで取り上げられていて、カメラとありったけのフィルムを持ち、現場に向かいました。

卒業してから感じたことはありますか?学校のことやカメラの技術など。

学校で教わった事は現在でも思考・行動するうえでの基礎として本当に役立っています。 この基礎をふまえ、現場では様々な状況が必ず起こり、応用・工夫しなければなりません。 これは、どんな仕事で働いている方も同じだと思います。 日々勉強を続けながらどんな事にでも対応出来るように準備をしています。

これからの活動と目標について教えて下さい。

写真集出版、雑誌掲載、講演会、エージェント所属、などですが、普遍は現在の人々の思い等を世界中に伝えることです。 フランスやドイツ、オランダなど欧米での芸術の考え方は、人々と密接に関連していて 、報道や芸術・広告などの一つの単純な枠組みとしてではなく人類の共通意識として認識されています。 日本国内での発表は勿論ですが海外にも活躍の場がたくさんあり、今後も現在生きている我々人類の姿を伝えていきます。

みなさんにメッセージをお願いします。

芸術・報道・広告等、情熱を持ち何かを作り上げる事を続けてください。 努力すれば、必ず結果になります。自分の周辺にも知らない事がたくさんあります。 今まで培ってきたものを基礎として他者を受け入れる広い視野を持ち、そのうえで自分の表現方法や自分の哲学を他者に伝えていってください。

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