MALAYSIAマレーシア語学留学特待生ブログ

タイプーサム 2010・その1

(03 月 09 日更新)

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2010年もこの時期がやってきました。
 
奇祭 タイプーサム(Thaipusam)
 
本国インドでは危険すぎて禁止になったこのお祭りが
ここマレーシアではまだ見れます。
1月〜2月の間のヒンドゥー教でタイの日にやるんだとか。
 
知り合いのインド系の人に
タイプーサム行きますか。と聞きますと、行かない。
行かない。
私の周りの人たちも行かない。
えっ。
じゃあ、誰が行くの?
  
しかし現場へ行くと、そんな気を忘れるほどたくさんの人がいました。
が、分からないことを聞ける人がいなかったのでいろいろ謎のままです。
 
バトゥケーブへ。 
 
KLからバスにて40〜50分。
タイプーサムの時は臨時バスがKLからもバトゥケーブからもたくさん出ているので、
セントラルマーケットらへんをふらふらしてるとすぐにバトゥケーブ行きのバスに乗れます。
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バトゥケーブに着くとさっそく高い音のする太鼓を連打してたり
行列を作ってバトゥケーブへ向けて歩いてました。
この音楽を聴くと
あぁ、タイプーサムの時期が来たな。
と思いますね。
 
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やたらドレッドの、あれはサドゥーだと思います。
を乗せた輿が大事そうにたくさんの人に囲まれてゆっくり進んでました。
 
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ここバトゥケーブに最近駅がで新しく出来て風景がマイナーチェンジしましたが、
お清めしたり、トランスに入ったりする場所はほとんど変わりなくあります。
行ってみるとやはりグッツがたくさん置いてあって準備してました。
トランスに入った後に背中につけるヤツもたくさん。
 
行列を組んでバトゥケーブまで牛乳を運ぶのですが、牛乳パックから直。
えっ?
あの、これじゃあ、神聖さに欠けるのでは。。
 
昔は牛の乳を搾って、そっからの牛乳を運んでいたらしいのですが、
今の時代は人数も多くなったりで、そうはいかず。
この牛乳パック式になりました。とさ。
 
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と、見学してると
少し横で他のグループの一人がトランスを始めました。
聞くところによりますと猿の顔をしたハヌマーンが入ってくるんだとか。
「キエッ〜〜〜〜ッ!!」
と舌をべろべろしながら出立の準備をして、出発。
杖をつきながら、軽く鈴の音がしてました。
 
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このトランスに入るためには7日間のベジタリアン生活だったり、
いろいろと決めごとがあって皆がみな出来る訳ではないのです。
家族の願いや、さまざまな願い、祈りの為に身を清め神を降ろすのだそうです。
痛みや頭を坊主にしたりするのも、それを神様に捧げるためです。
 
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この未知極まりない状況。
空が次第に暗くなり、また、毎日だけれど、雨が長い線となって激しい音とともに落ちてきた。
湿気も十分に満ちて蒸す。 
男が天を仰ぎ神に祈りを捧げて、あれは降りてきてくれる様祈っているのだろうか。
ライムを四等分に切った後頭のてっぺんに乗せて、一欠け、また一欠け、
そして、半分となったライムを気合いを入れて
「てえーーーーーーーいっ!!」と砕くように果肉を飛び散らせ割ったら
おおおっ!!!
神が、おそらくハヌマーンが降りてきた。ぎえーーーーーっ。
始まった。
火をつけたココナッツの断片を口に入れて、ゆっくりと一旦閉じ、吐き出す。
その吐き出しかたも人それぞれだが。。
眼がぎろぎろと見開いていて大きくなっている。
すかさず横から用意していた、何やらの茶色い甘い匂いのするタバコを差し出し、
トランス状態に入った男は勢い良く、ぶかぶかとタバコで呼吸するように吸い始めた。
 
一人目の男、トランス状態に入りました。
 
その後、雨も一向に止む気配を見せず降り続いている。
仕方なく移動も出来ないためこの場に身を置き、
一人、また一人、また一人とトランスに入っていく姿を見続けた。
まさに日本人である自分には未知の信仰心を見せつけられているよう。
連打音と肌に滑り付く熱さと湿り、この雰囲気が息を呑ませる。
 
その時トランスに入った男たちの数は総勢10人だったと思う。
ここまで長かった。
約2時間はかかった。
ということは、最初にトランスに入った男は、トランスに入った状態で
仲間が全員トランスに入って準備ができるまでの2時間ずっと待ち続けたということ。
あらら。雨の中、ぎえーーーーーっってやりながら。
大変だこと。
 
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もう、そこら中にトランスした人がいます。
楽団の、騒音にも等しいほどの轟音の連打する太鼓の音が
辛うじてこの状況を繋いでいるようにも思えます。
もしその音がなければ崩壊してしまうかのような繊細な空気。
 
誰かがトランスに入った男に話しかけるときは、ものすごく丁寧です。
かがんで、足の先を両手でさっと軽く触れるように触った後
尊敬の目をもって胸に手を当てて話していました。
何やら、この日のアドバイスやらをもらうとからしいです。
 
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そして、初めから数えたら3時間くらいだったでしょうか。
とうとうスタートです。
行列を組んで祈りを纏った人々がバトゥケーブへと向かいました。 
 
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そして、さっきの輿に乗ってたサドゥーらしき人が開会の宣言をして、
どうやら本格的にこの年のタイプーサムが始まったようです! 
 
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この日は暗くなったので翌日もう一回。
その2へ。。 

オラン バテッ

(更新)

オラン スマブリに続き オラン バテッ(Orang Bateq) に会いにタマンネガラへ
 
タマンネガラ(Taman Negara)の意味はマレー語で国立公園、
70年程前に国立公園になりました。
1億数千年前の熱帯雨林が残っているといわれていて
動物もたくさんおります。
インドシナトラ、マレーバク、ガウル(牛)、
アジアゾウ(たくさんいるらしい)、カニクイザル、スマトラサイ、
シカ、レオパルド、クマ、ヤマアラシ、などなど
全部で約200種の哺乳動物たちがいるそうです。
 
いやいや、まだまだ。
1000種を越える虫たち、300種を越える鳥たち、100種を越える両生類
などなど。
たくさんの生き物がこの太古の森に暮らしています。
しかし、サルたちとたくさん会える事は受け入れやすいですが
なかなか会えないにしろ、トラがまだいたとは、、ちょっと驚きました。
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ナシレマを食べ、自分で食べる食料と水を買い向かいます。
 
いざ行かん、太古の森へ。 
 
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と、思ったら
やはりありましたね。パーム・オイル・プランテーションです。
パームヤシがたくさんある道を抜けたと思ったら
あらら、今度はパームヤシを植え替えるために荒野になっている場所へ。
と、同時に
森の深くですごく古い大きなりっぱな樹であったであろう木の幹を何本も積んで
地鳴りを鳴らしながら逆方向へ向かうトラックと何台も出会いました。
いったいどこから運んでくるんでしょうか。。。
森を大事にするタマンネガラ国立公園とは真逆の存在である、伐採。
 
聞いた話によると
もちろんタマンネガラの樹は切らないけど、その近くから切っている。とのこと。
いい木はわりと高く売れるらしいです。 
あのトラックの数を見ると、かなりの勢いで切られていることでしょう。。
 
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ここでも、スマブリ族の時と同様にラザックさんに案内してもらうことに。
たくさん知り合いがいるようで、
国立公園の入森証やボートの手配もしてくれて、助かりますね。ほんとに。
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やはり、前回同様。
ラザックさんは
「この日本人が泊まりたいって言ってるよ」と言っているのでしょう。
を言って、自宅へと帰って行きました。
 
が、やはり放り出された気は拭えず、
最初はどうして良いか分かりませんね。
 
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最初、オランバテッの人たちを見た時どう思ったかって??
 
そりゃあ驚きましたよ。
なんせ顔がマレー人はもちろん、オラン スマブリと少し似ているけど違くて
色の濃い肌と縮れた髪質。
メラネシア系とか、オーストラロイドというのでしょうか。。
詳しい人種や移動はよく分かりませんが、
思った事は、彼らの先祖がいったいどこからやってきたのか?? です。
アフリカからユーラシアを経てこっちへ??
それとも海から??
 
そんな事を考えてると、
漁に行くということなので同船させてもらいました。 
毎日行くのか聞くと、
たまにしか漁には行かない。とのこと。
ラッキーでした。
 
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先頭に立つおっちゃんが、舵を握る少年に指示を出し船は川を下っていきます。
 
漁の方法は投網。
こっちの方角、もう少し左。もっと、もっと、、、よしよしよし、はい止まれ。
の指示通り舵を握る少年は従い、都合良く船を自在に動かします。
 
素人の自分にはどこを狙って船を止めて投げてるのか分からないのも少々ありましたが、
あれはおそらく川の流れや、水の温度を見極めていたのだと思います。 
 
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一見、感だけを頼りに投げるている。と思える投網漁ですが、穫れるもんですね。 
おっちゃんたち、やります。
 
自分が投げたら、網とともに船から落ちるでしょう。
 
いやいや、、
しかし、暑いの、日差しがめっぽう強いのなんたって!
普段からちょっとは焼けてるのですが
数時間乗ってたら顔も手も足も真っ赤っか。なんてこった。
まさか、KLより太陽の日差しが強いのか?
それともじっと日の本に座り続けていたからでしょうか。。
 
そりゃ、子供達もライフジャケットを被って日よけしますよね。
 
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自分が泊まったバテッ族の住んでいる場所は 
タマンネガラのエントリー・ポイントからボートで約20分川を上ったところの崖の上。
崖の上にあるので、マレーシア人観光客や外国人を乗せた舟、
学生達が歓声や楽しみの声をあげる舟、オランアスリがどこかへ行く舟、
などなど朝から晩まで舟の往来がよく見えます。
それにしても、ボートが来る時のエンジン音はすぐ分かりますね。
鳥たちの話し声と森の静寂の中に遠くからでもエンジン音が響き渡るので。
 
観光客は、
『あれが話に聞くオランアスリの住んでいる場所か。』と思うのでしょう。
崖の上から毎日幾度となく往来を見ているバテッ族の人たちに、大きく手を振ってました。
おーーーーい。といった風に。
でも、やはり日常風景だからでしょう。
いちいち毎回手は振り返さないみたいです。
 
しかし、たまに自分以外川を見ていない時もありました。 
それでも手を振る観光客たち。
おーーーーい。
 
それが日本人だとも知らずに。。。 
 
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ナイトマーケットに行くらしいので連れてってもらいました。
 
ボートにて川を下ること30・40分くらいだったでしょうか、
途中ガソリンを買ったりしながら、少し日も傾きながら。 
 
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帰る頃には赤くなった太陽はタマンネガラのどこか奥のほうに落ちていました。
もう辺りは薄暗く、ボートのスピードもやや速く感じ、
子供たちはナイトマーケットで買ってもらったお菓子をかじってます。
なら、自分も買ったパンケーキをパクリ。
昼の暑さはどこへやら。
夜が深くなるほど涼しさも増していきました。 
 
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実はここから見える対岸の森からがタマンネガラ国立公園で
このバテッ族が住んでいるところはただの森です。
 
あのボートが通っているちょっと向こうの岸に
森の入り口の様なものがあるのを確認できますでしょうか。
そこから、森を抜け、山を越え、他の州までずっと続いているそうな。
もちろん自分に森を抜けろと言っても不可能でしょう。。
話してた彼曰く、
森のことならまかせろ。おれは森を抜けてどこへでも行ける。
とな。
すごいです、ほんと。
 
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ちょっと森へ散歩に行かないか。
 
暇そうに森の声を聞きながら川を眺めている自分を誘ってくれました。
そりゃ、もちろん行きます。
スマブリ族の時と同様に吹き矢を携え出発。
 
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どこからかの草をくしゅくしゅやってると思ったら
それは吹き矢を吹く時に、息で圧をかけて押し出しやすくする物。にするそうです。
でも、ここの森に獲物はいませんでした。
もっと奥まで行かないとダメらしいです。 
 
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テレビでどこかのジャングルで、木から水を飲んでいる姿を見たことがありますが、
まさか自分も飲むことになるとは。
 
水が出てくるのはラテンで、タマンネガラにはたくさん、
たしか18種類だったけな。があるそうです。
この人は全て見極められて、子供たちはまだ勉強中、
自分はどれが何かなんちゃ〜分かりません。
 
スパンッ、スパンッ、と先を尖らせたら、
あらら、水が出てきました。ほぼ無味無臭。
予想外にたくさん出てきて、びっくりです、普通に飲めます。
こりゃ、水筒持ち歩かなくても大丈夫ですね。
見極められれば。。
 
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火起こしに挑戦。
 
国や地域、民族や時代によって火の起こし方は様々でしょう。
彼らの伝統の火起こしでは、火起こし用の木と細いラテンを使います。
もちろん今の時代は彼らもライターやマッチを使ってます。
 
写真にある通り、
木の真ん中をくり抜いて、小さい穴を開けます。
そして、こすりやすくする為に溝を彫ったら木の出来上がり。
 
ラテンは持ちやすくする為に小さい木を端に付けます。 
 
そして、木が動かないように足でおさえて
削るように、強くもなく、弱すぎず、遅すぎず、早すぎず
ぐわーーーーーっと続けてると
徐々に煙が出てきます。
 
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そして、煙が出てきても、なおしぶとく、うまいこと続けると
小さな火種が開けた小さな穴にできます。
 
それを竹を細かく細く削ったものに入れると、
はい。
火のできあがり!
 
すごいです。
 
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バテッ族たちの住むこの場所はタマンネガラの入り口に近いため、観光客が来ます。
マレーシアの学生、外国人観光客などなど。
 
みんなさん、ガイドさんの オランアスリとバテッ族について、の説明を聞いてました。
それによりますと
 
やはり彼らの祖先はアフリカからで、
タマンネガラの中には約7000のバテッ族の家族が暮らしているそうです。
彼らは常に移動を繰り返して暮らしているのですが、
いつ移動するかといいますと
雨で土地がダメになった時、周りに食べ物がなくなった時、集落の誰かが死んだ時、です。
この場所も数ヶ月前に作った新しい場所だそうです。
移動してきた場所から、新しく住む場所に着いたら
絶対に1日で家を造り、住む土地を整備します。
でないと、悪い運が出てくるそうな。
 
などなど説明をしながら
火起こしや、吹き矢のデモンストレーション。
 
マレーシアの学生も、欧米人のグループも吹き矢大会してました。
 
ガイドさんが一言。
『はい、これで負けた人は今日ここで一泊ね。
 あれが泊まる家(自分が泊まってる家)です。』
『えーーーー。むちゃな。』
 
って、すでに日本人が一人ここに泊まってますけど、罰ゲームですか。。。
良いとこですよ。
 
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やはり観光客は、ナチュラルな生活、を感じたいのでしょう。
観光客がここへよく来ることを知ると、
『じゃあ、ここは観光客用の場所なんだ。』
と一人の観光客。
 
そうかも知れません。
観光客が来ると女性や子供は家に入りますが、自分も隠れようと思いましたが、
彼らは快く受け入れ、生活の一片を見せてくれます。
 
しかし、彼らは一時ここに住んでいるだけなのです。
1〜2年ほど観光で数百リンギット(マレーシアの通貨単位)お金をかせいで
また森の奥深くへ戻ります。
そして、他の仲間とバトンタッチ。
バトンタッチする仲間の中には、
子供はもちろん大人もマレー語も英語も話せない人がいます。
まず仕事をするために言葉を教えないとダメだ。と言ってました。
 
森へ戻ったら、また1〜2年は町へ出ないそうです。
出ても、交代でたまに買い出しに町へ行く時だけです、1年に1回くらい。
『あ〜、、今は良いよ。食べ物たくさん食べれるから。森に帰ったらお腹すくんだよね。
 コーラ恋しくなるし。でも森大好きだけどね、最高。』 とな。 
 
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彼らの中に一人だけガイドをしていて、英語が少し話せる人がいました。
いろいろと話せて楽しかったです。
言葉が通じると、分からないことだらけな新文化が少し見通せて全然違います。
 
宗教観について少し。
彼らバテッ族は地を歩く動物は食べず、樹々の上で生活をする動物だけを食べます。
それとは逆にスマブリ族は地を歩く動物も食べます。
現に豚も鳥も食べてました。
なぜ、バテッ族の人々が食べないかといいますと
死者を送る時に、死者が天へすぐに逝けるように
樹のてっぺんにくくりつけます。
地に埋めると動物に食べられたり、荒らされたりするから、だそうです。
その点から、死者を食べたかもしれぬ動物は食べない。ということになりました。
 
しかし、マレーの人からの一言。
樹の上にくくりつけた死体は腐ったりして、臭いを放ちます。
タマンネガラの観光客用のトレッキングコースにもまれにそれがあって、
だからホントは樹の上に死者をくくりつけて送る方法は違法になってます。
 
いや、ちょっと待て。。
タマンネガラは誰の場所。。。?
太古の昔からずっと住んできたオランアスリたちの土地?
それとも、マレーシア人みんなの土地??
でも、森の中で住んでるのはオランアスリたちで
約70年前に国立公園にして、観光客を連れてきてるマレーシア。
でも、マレーシア人もオランアスリもそれで収入の一部にしているし。
でも、オランアスリが収入の一部にしてるのは交代制だから一部の人たちだけで
他の人たちはみんな森の中で生活しているみたいだし・・・。
 
と、一人 問答。
 
 
 
日が暮れていくにつれ
森から聞こえる鳥たちの馥郁たる話し声はより深みをましていきます。
 
新月の夜。
ここは森。暗いから星がたくさん見えるんですね。
あっ。
一つ、星が、動いてる、いや飛んでるんだ。
その小さな光を追っていると、点滅していることに気がつきました。
よく見ると小さな光は青みがかって、空を飛んでいます。
あれは星が空を飛んでるんじゃなくて、
蛍が星のようになりたいから空を飛んでるんだよ。
と、誰かに言われた気がしました。
 
よく森に目を凝らすと、あっ
あそこにも、あっ
あっちにも蛍がいた。
 
 
家に呼ばれてご飯を食べてると
ストリートファイター・チュンリー の映画が発電機を使って始まりました。
ハッ! テイッ! ヤッ!
森に響き渡る戦いの声。 
その後見始めた WWF。 I am the Winner!!!!!!!
夜は更けていきます。
 
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迎えのボートに乗りエントリーポイントへ戻ってきた時は 
この森を初めて見た時の印象とは全然違ってました。
もう昔の生活をしている人たちはいないと思っていた森。
違いました。
森の奥深くではまだまだ残ってます。慣習が生きてました。
 
ちなみに観光客が行くには、入森証にガイドとお金がかさみます。。
 
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実は、火起こしには幾度となくトライしたのです。
 
しかし、、、一度も火種を作るまでにはいきませんでした。
彼らは簡単そうにやりますが、すごく難しいです。
自分がやったら、火種ができる前にラテンが切れてしまいます。
『あーーーーーっ!! 難しい!!』
『簡単だよ。』
どうやら徳田はバテッ族になれないのはもちろん、森でご飯も食べれないみたいです。
ただ得たものは、弱った身体の筋肉が火起こしに耐えられなかった筋肉痛のみ。
 
帰りのボートが来る時まで何回も挑戦してると、 
『これ持って帰っていいよ。』
なんと!
 
ありがとうとさよならを伝えてたら
火起こしグッツ3点セットをいただきました。
先着2名様までバテッ族特製の伝統的火起こしに挑戦できます。
 
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耳でとらえた バテッ語(Bahasa Bateq)!
スマブリ語の時と同様にカタカナで書くため、実際に使うときは発音に注意です。 
 
森へ行く ー チュッバッ ハッ
家へ帰る ー ウィ バハヤッ
食べる  ー チ
飲む   ー アム
水浴び  ー ナイ
家    ー ハニャ
熱い   ー ブッ
 
音はぜんぜんスマブリ語と違います。
もっと、流れるような、こもるような感じです。 
 

イスラム学校

(更新)

イスラム教の学校へ。
 
いろいろお世話になっているラザックさんと共に。
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今回行ったイスラム教の学校の一つ目は
小学生のための学校です。
腹ごしらえをした後、、
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どうやら訪れるには子供たちへのお菓子が必要なようで
スーパーにてお菓子を大量購入。
 
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基本的に親が子供にイスラム教を学ばせたいから
このイスラム塾のような学校へ子供を送ります。
時間は普通の学校の放課後、月から金の2時〜5時。
イスラム法、コーランの読み方、
バジャウ文字(昔のマレーシアのイスラム教徒が使っていたアラビア文字)、
お祈り、生き方、、とこんな授業内容になっています。
政府から送られて来た4人の先生が教えています。
 
小学校が終わってから平日毎日で、しかも6年間の学校です。
 
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自分が行った時はちょうどバジャウ文字の授業でした。
 
が、
 
小学校に外人が来るとどうなるか、、、
 
もうそりゃ授業どころじゃないですね。
先生には申し訳ないですが、
ぞろぞろと自分がいる教室にどこからともなく生徒たちが集まって来て
わーー、わーーわーー!
ピースやら笑顔の荒波が押し寄せます。
 
やっぱり、外人珍しいですよね。。。 
 
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ちょうど休憩時間だったのでなおさら。
けど、たまにはこういう笑顔ってのも素敵ですね。
 
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これもまた、なぞのローカル フルーツ。
マレーシアは熱帯だからでしょうか、
やたらいろんな種類のフルーツがあります。
もしかしたら、まだまだ知らないフルーツが出てくるやもしれません。
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そして、次はポンドク(Pondok) 
青年から大人のイスラム教の学校です。
 
青年は親から送られてきたりします。
ポンドクでの勉強が終了してからは地元に帰って
地元の普通の職業に就いて、イスラム教を教えたりするそうです。
 
もっとイスラム教を深めたい大人や、身寄りのない老人もポンドクで学んでいます。
 
イスラム教の勉学だけに集中するため、ポンドクの家は簡素で無駄な物がありません。
食事も自分で作るそうです。
 
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訪れたポンドクはまだ新しくて工事中で、
なにやらブルネイからの寄付で建てられたとか。
行った時は9人の男性と1人の女性、そして先生が一人いました。
写真にはないですが、さりげなく自分もマレーの服を着てます。
 
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お祈りをした後はコーランの読む授業でした。
自分はイスラム教徒じゃないので中に入れないです。
外からの見学のみ。。 
 
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夜はラザックさんの家族と外食。
タイのマレー料理です。
ちなみに南タイにはイスラム教徒のマレー人が住んでいて
だから、この食事はイスラムの人でも食べれるんです。
 
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オラン スマブリ

(更新)

今回はマレーシアの原住民といわれるオランアスリのお宅へ。
とうとう訪れるとは、、、マレーシア人訪問もここまできましたか。
 
ちなみに オラン(Orang)は人、アスリ(Asli)は元々のとか元来の、の意味です。
  
オランアスリは、よくオランアスリとひとくくりにされがちですが、
オランアスリといってもさまざまで、マレー半島内で18民族います。
ネグリトやセノイ、プロトマレーなど大きく分かれていて
バテッ族、スマブリ族と民族名も言葉もこれまたさまざま。 
その分け方は、
数万年前にマレー半島へ来た人たち、オーストラリアのアボリジニーみたいな。
とか、
数千年前に中国雲南の方から来た人。
その後、 
マレー人やインドネシア人、中国人、アラビア人などと混血が進んだ人たち。
などなど、
文化人類学的でしょうか、いろいろと調べれば深く書く事ができるのでしょうが
ちょっとそこまでは行かないでおきます。。
 
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現代は、マレー人や華人と混血が進んだり、改宗したり、町に住んだり、
森で住む事を止めたりしている人たちもたくさんいます。
しかし、
やはりまだ森に暮らすオランアスリたちもたくさんいて
主におおざっぱですが、マレー半島の真ん中あたりの森、タマンネガラらへんです。
などに昔からの生活をしている人がいます。
今回は、パハン州はジャラントゥトゥの近くの、タマンネガラのまた近く
ハリラヤでお世話になったラザックさんの紹介にて訪れることに。  
 
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いちおう、水やお菓子や食べ物をちょいちょい買いつつ。。
やたら高くて、シンガポール人が買い付けにくる川魚を見たり
オランアスリが森から穫って来たヤマアラシなど
ジャブを打った後、
近くの オラン スマブリ(Orang Semoq Beri) の家族の元へ。
 
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ジェラントゥットゥ・フェリーからちょっと行った所に
政府が土地をスマブリ族にあげて移住させた場所があります。
 
そこへの入り口。 
 
さすがに今回ばかしは、何があるのかとどきどきしました。 
  
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Semoq Beri 08.JPGSemoq Beri 09.JPG
ラザックさんは
「この日本人が泊まりたいって言ってるよ」みたいなことを喋って
以外に早く家へ帰って行きました。
 
あらら、この若干不安な心も露知らず。。
 
もう、とりあえず猿がいたので
猿に向かってにっこり。
そしたら猿もにっこり、、、
 
じゃなくて、 ぐわっ!! って きーーーー!!ってやられました。
びっくり。
 
Semoq Beri 10.JPGSemoq Beri 11.JPG
 
今回もクリスマスに行ったボルネオ島、サラワク州のビダユ族のように
しかし、それとも全然違う、もちろんマレー人とも全く違う
でもマレーシアにいる、という空間にいることとなったのです。 
 
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Semoq Beri 13.JPGSemoq Beri 14.JPG
Semoq Beri 15.JPGSemoq Beri 16.JPG
電気、ガス、水道がまったくないこの場所。
村と呼ぶにはちょいと小さく、
集落?ともなんともしっくりこず、
家が5戸なので、場所。としますか。。
 
の場所から少し行くとせせらぎがあって、
そこで身体を洗うそうです。
なんと、、これまた
森の中のせせらぎで身体を洗う時代が
自分のフィールドワークでとうとうやってきましたか。
と小さなバケツでゆっくり流れていく水をすくい
バシャン、バシャン、
最初は少しひんやり感じる水をかけ、身体を流します。
これもまた、良いもんです。
  
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チェスマン、彼の家に泊まらせてもらいました。
と少年と共に細いラテンを数本集めに森へ。
 
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彼は繁った森の中から使えるラテンをすぐ見つけ
左の腰に差したナイフで
サラッ、スパッ っと皮を剥いで、くるくるっと輪投げのようにして集めてました。
いやいや、おみごと。
森の知識を少し垣間見ました。
 
ちなみに少年は裸足。
信じられません。。。
この森で裸足とは、なんぞや。
スタスタと何事もなく歩くので、
さぞ強い足の裏を持っているのでしょう。
 
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何の為にラテンを穫って来たかと思ったら
小さい家のような、小屋のようなものを作る用のロープ代わりの為でした。
子供たちがラテン輪投げしている横で縛るチェスマン。
綺麗に縛れるもんですね、ラテン。。
ぜんぜん切れません。切れそうになる素振りもみせません。
とりたて、縛りたてのラテンは水分が残っていて、
まだやわいです。
しかし、縛ってから数日は経ったラテンを見てみると
すっかり乾燥して、緩むであろうと推測させる気も起こさせないほど
しっかりと木々に巻き付いたままです。
ラテンはやり手ですね。
 
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彼らの収入の一部に、
家の回りに植えてあるゴムの木の収入があります。
毎朝、皮削りしてました。
ゴムの木の皮削り専用のような変わった形のナイフで
皮を削ったらそこから白い液が
スーーーーーーっと
その削ったトコをつったって集めカップの中へ
一滴、一滴、落ちます、溜まります。
カップがいっぱいになるには数日間かかりそうです。。
 
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ガスがないので薪も森から拾ってきます。
枝を拾うのではなく、
幹を斧で細かくして使ってました。 
 
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と、家の中でお茶を飲んでると
彼らの親戚が近くの場所から来ました。 
彼らもスマブリ族です。
 
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その親戚の家は政府から援助されたコンクリートの家です。
しかし、彼らの伝統的な木と竹と葉で作られた家とは似ても似つきません。
彼ら曰く、
あの家は暑いから好きじゃない、木の高床式の家が良い。
とのことです。。
 
そして、ヤギの め〜 という連弾の鳴声のする高床式ヤギ小屋を横目に見、
小さいパームヤシのある道を草をかき分け進み、
着いたところは
パーム・オイル・プランテーション。 
 
子供たちはプランテーション内の川を見るとすぐに
ぞくぞくとダイブして、服を着てようがいまいが関係なく、ダイブ。
どぼんっ。
なんと、無垢で無邪気な子供たちなんだろうか!
森に行けば樹々で遊び、川があれば飛び込んで、
家の回りでは駆け回り、みんなで遊んぶ。
笑って、たまに泣いたりしますが、そんなのどうってこたないですね。
子供は遊ぶのが仕事。
という言葉がピッタリ当てはまってて素敵でした、ホントに。
 
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まぁ、正直、
前にプランテーションへ行った時に除草剤の話を聞いたので
ちょっとそこらへんが不安ですが大丈夫ですね。。たぶん。
なんせ低い草はありますが、パームヤシ以外他に木がないもんで。 
 
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水道がないため水汲みもします。
せせらぎの他に湧き水も近くにあって、そこから食事用の水を汲んでました。 
 
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自分が来たからでしょうか、
豚かイノシシをどこからか穫って来たのか、買って来たのか、
でバーベキューです。
 
ビダユ族は毛をバーナーでささっっと現代的にやってましたが
ここでは
パチパチ、と鼻をもって火に直接当てて焼いて剥ぎます。
内臓や肉は竹串に刺してました。あれはおそらくレバー。 
たとえ肉を直接蒔きに置いて焼いていようとも、それでススが付いていようとも
ここでは全然気にならないもんですね。
と言いますか、あれが自然であり、普通に感じてました。
おいしいですし。 
 
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犬も鳥もおこぼれをもらおうと近くをうろうろ。
 
緩やかに煙は縦に上り、和やかに時間は過ぎていきます。 
 
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そして、ちょっとの狩りへ。
オランアスリの一部の人たちは吹き矢で狩りをしています。
この吹き矢はけっこう長くて2mくらいでしょうか、推定。
吹き矢の黒い筒は、その中にある2本の細い竹を守る為のものです。
だから、たしか3つのパーツで出来ています。
竹もちょっと特殊で、細くて長い竹はなかなか無いそうで
吹き矢を一本作るのも大変だそうです。
 
吹き矢の矢。
彼らは矢先に毒を塗って狩りをします。
その名を「イポー」
マレーシアのとある街の名前にもなっています。
木の上にいる小動物を射った時は、数分で木から落ちるらしいです。 
 
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リスが木の上で遊んでましたが、残念。
収穫ならず、でした。
しかしそりゃ、
ゴムの木やらプランテーションに囲まれたこの場所での狩りは難しいですよね。。
 
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ゴム林を抜け、バナナ林を抜け、
少年がとってきたのは、何やらの実。
間違いなくローカル フルーツ。
マレー語でドゥク(Duku)というそうです。 
 
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家へ戻ると、また何やらのローカル フルーツ。
その名を、マレー語でですがランベイ(Rambei)。
残念ながら日本語はもちろん、英語の名前も分かりません。。
ラテンの一種から穫れる、と言っていとような気がします。。。
しかしこれがまた、
すっぱい!!
みんな砂糖を付けて食べてましたが、すっぱいの何のって!
 
でも、ホントに見た事ないローカル フルーツを食べるってのも良いもんです。 
 
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ここで、せっかくなので 耳でとらえた
サバイバル スマブリ語(Bahasa Semoq Beri)
カタカナ表記なので、もし使う時があったら発音に気をつけてくださいね。
 
ご飯を食べる ー  インチャ ナシ
分からない  ー  ラーイン
犬      ー  ジョー
水      ー  ジャオ
熱い     ー  ブッ
猿      ー  タラウ
森へ行く   ー  スワッ カブリッ
家へ帰る   ー  イヨッ ティアン
頭      ー  コイオン
親戚     ー  オンッ
水浴びをする ー  ジャンマル マハミイ
赤ちゃん   ー  カッコン
後で     ー  ディドゥイ
ぶた     ー  ジャル
パン     ー  チャルティ
板      ー  デッロッ
パイプ    ー  オンチョイ
 
それと、おっちゃんが子供によく言ってた
アーモーッ オイ!! って言うのが気になりました。
 
言葉の音はマレー語とも違います。
力強く飛ぶような、跳ねるようなかんじです。
 
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どこからともなくバイク音が。。
 
すると、彼らが声高らかに叫びました
 
「アワワワワワワワワワワ」  「オウォウォウォウォウォウォ」
 
昔、彼らの住んでいた森が走馬灯のように目の裏を走ります。
 
何事!? 突然。
 
バイクに乗ったおっちゃんが登場しました。おかし売りの人です。
やはり町が近いからたまに来るみたいです。 
 
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猿が突然騒ぎ出しました。
 
何事!? 今度は?? なに?
 
どうやら、、何もなかったようで、誤報です。
スマブリの男たちは猿にとつとつと教えています。
言葉は分かりませんが
しっかりしろ、誤報は違うだろうよ。と言っていた風でした。
聞くところによりますと、あの猿はスマブリ語が分かるそうです。
 
と、
毛づくろいもやってもらってました。
 
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いったい何時に寝ていたんでしょうか。
太陽が落ちて暗くなったら大人たちはランプを点け、
子供たちは明日の仕事の為に昼の疲れを癒すべく床に付きます。
自分もKLでは少々夜は起きれるのですが、
ここは違いますね。
自然のリズムの中に入っています。
朝、いつぞやから明るくなった空で目を覚まし、子供たちが早々遊んでいる姿を見て、
昼、飯を食べ、暑ければ休み
夜、暗くなったら甘いお茶を飲んで、慎重に蚊帳で虫を完全遮断して安眠を心がけ、
悪夢はマレー獏に食べてもらうようお願いして目をつぶります。。
静かです。
都市の雑音のないこの空間だから、いくら床が堅くとも寝てしまいます。
たまにゃあ、そのシンプルな流れの中に身を置くってのも良いもんですね。
 
 

マレーシア 20

(02 月 02 日更新)

このブログの一人だけやたら長いアーカイブも
とうとう2006から2010年の時を刻みました。
いやはや、時間とはなんぞや。
一体全体いつこんなに時間が経ったのでしょうか。。
もうさすがにKLを歩くのに地図は必要ありません。
この頭に入ってるのですが、、
最近のKLでの悩み事が一つ。
カメラを持ってない時は誰一人として
外国人だの日本人だの分かってくれません。
なぜ。。
ちょっとはチャイナタウンとかマーケットとか歩いてて
「お兄さん、お兄さん」 「ちょっと待って」
とか言われてもイイんですけどね。
現に日本人と共に歩く時は言われてます。
自分を越した後の人へ向かって。
そんなにマレーシア人に見えるんでしょうか・・・。
  
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2009年の11月にマレーシア・アート・エキスポ 09というものがありました。
たまにこういうのがあります。アートフェスタとか。
内容は、日本やらアジア各国、欧州数国のギャラリーの作家の作品が展示してありました。
マレーシアからも、KL・ペナン・マラッカなどなどから。
ミャンマーの作家の作品とかなかなか見る機会はないであろう作品もあって、新鮮でした。
95%は絵画、他に映像とか彫刻、写真が数点。
その場で、そこに掛けられている作品を即売してて
わりと売れてるみたいでした。
 
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ブリティッシュカウンシルの前のクラス。
このクラスにいた時に、ひょんなことからスピーキングクラブというものに入りまして
週一で自分の国をプレゼンしよう。というやつでした。
ベルギーとかイエメンとか名前は知っているけれど、どんな国かよく知らない。 
そんな人らも一緒にやって、いやいや、楽しかったですね。
良いクラスでした。 
 
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たまに行くウォンさんやアンディさんとの食事は
いつもの自分で作る鍋スパイラルから抜ける唯一の道で
しかも自分の料理とは違い、間違いなくおいしいです。
こないだ連れてってもらったKLからちょっとに離れたとこはほんとに美味しかったですね。
それと、KISSATENに新メニューが登場してました。
前は裏メニューであった鍋とか、うな重とか、ポークステーキとか、とか。
料理長曰く、いつも新メニューを考えてる。とのこと。
これは、まだまだ新メニューが登場しそうです。期待してます。
新しいメニューのほとんどは危うくお腹がはち切れるかと思いましたが
とても美味しくほおばらせていただきました。
ありがとうございました!
 
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最初はクリスマスが終わっても
一向に片付ける気配を見せない飾りにちょっとばかし不思議でしたが
We wish you a Merry Christmas and a Happy New Year
でも歌ってる ように、日本とは違うんですね。
 
2009年12月31日はKLやマレーシアの至る所でカウントダウンしたました。
紅白歌合戦もありましたが、せっかくなのでKLへ。
KLCCやブキッビンタン、メルデカスクエアでもイベントをやってまして、
いったいKLのどこに、こんなにたくさんの人がいたの??
というくらいの見た事ない混雑。
マレーシア人やら、旅行者やら、留学生やら。
人、人、人。 
と共に、大音響の音楽。
そりゃKLCCの公園もライトアップしちゃいますね。
 
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カウントダウンの数十分前から絶叫やら興奮の嵐。
ひょーーーーーー。ふぉーーーーーー。という裏声とともに
シューーーーーー。っとあらいったい何でしょう。スプレーをかけ合ってました。 
そこら中にスプレーの空き缶が散乱し、
スプレー売りの人も両手に少なくとも4本のスプレーを持って
「スプレーはいらんかね。」と狂気の中を彷徨い売り歩いてました。
そのスプレーは、というと。
糸みたいな、泡のような、すぐ消えるんですけど、そんなかんじのスプレー。
雑踏の中進む見ず知らずの人らとスプレーをかけ合う、祝い事の掛け合いしてました。
自分も、ふらっとその中へ入るやいなや
ひょーーーーーー、ふぉーーーーーー。と共に
シュッーーーーーーっ! もうそりゃ泡と糸だらけです。
 
5・4・3・2・1 !! 2010!!!
歓声。 スプレー。 花火。
みんな HAPPY NEW YEAR!!! って。
歓声。 スプレー。 花火。
 
そりゃもう、ここぞとばかりに満月の夜空へ向かって
あっちでも、こっちでも
シューーーーーーーッ!
  
と、盛り上がってました。
ちなみにこのスプレーから出るガスでしょうか、むせます。
 
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ここはパビリオンの前。
さながら野外クラブのようです。
みんなくねくね、ゆらゆらと踊ったり、
沸き上がる感情をそのままダンスにぶつけたような踊りで盛り上がってました。
そんなかんじの満月カウントダウン09−10。
 
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そして、これはパサール セニ駅のグラフィティ。
去年もここに違うのがあったのですが、どうやらと年が変わると描き変えるみたいで
1月1日に、ざっ!っとたくさんの人で描いてました。
でも、個人的には去年のが好きです。
 
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この写真に写ってる人が誰だか分かったらマレーシア通ですかね。 
 
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マレーシアの首相といえば、マハティール首相がすごい有名ですが
この方は現マレーシアの首相のナジブ首相です。
KLCCの横をふらっと歩いてたらいました。
おっ!ってやつです。
やはり地味にうれしいですね。
こないだマレーシア人の知り合いに自慢しときました。
 
 
そんなかんじに最近のマレーシア生活をしております。
いつものように心身共に元気です。
 
2010年もよろしくお願いします。
 
PJ 徳田
 

クリスマス

(更新)

新年・クリスマス休みはどこへ行こうやら。
せっかくだからキリスト教徒のところへ行って
南国のクリスマスが見たい。と探していましたところ
ひょんなことから、
ボルネオ島はサラワク州、クチンという町の近くの、
首狩り族だった事で知られるビダユ族のロングハウス、パヤンさん宅へ行く事に。
KLに住んでいて、キリスト教徒というと華人かインド系の人なので
マレー半島かと思っていたら、まさかのボルネオ。
 
なぜボルネオのサラワク州にキリスト教徒がいるのでしょうか。
昔、サラワク州はブルネイの統治下にありました。
1800年代にイギリス人探検家、
その名を「ジェームズ・ブルック」がサラワクにやってきました。
ブルネイからサラワクの反乱を治めるよう頼まれ、
鎮圧した後、彼はブルネイからサラワクの王に任命されました。
「白人王(ホワイト・ラジャ)」という称号です。
ちょっと疑問に思った事があって、
サラワクにはたくさんの民族がいますが、元々の彼らの宗教はパガンといって自然崇拝です。
今、ホワイトラジャの影響で多くの人がキリスト教に改宗しました。
しかし、以前はイスラム教の国家のブルネイに統治されていたので、
その影響でサラワク州の人たちがイスラム教に改宗してもおかしくなかったのですが、
多くの人は改宗しませんでした。なぜでしょ。
聞いたのですが、答えは分かりませんでした。。
 
そしてエア・アジアにて KL→クチン へ。 
 
Kg. Annah Rais01.JPGKg. Annah Rais02.JPG
クチンから車で約1時間半。
村の名前は、カンポン・アナライース(Kampung Annah Rais)。
 
この村は ビダユ族 が住んでいて、数十メートルのロングハウスが3つ残っています。
 
サラワク州の人口比率は、
1ー華人 ・ 2ーマレー人 ・ 3ーイバン族 ・ 4ービダユ族 となっています。
 
宗教も
1ーキリスト教徒 ・ 2−イスラム教徒  となってまして
この州は珍しくマレー人の人口が一番多くないし、
キリスト教徒が多いなんて知ってちょっとびっくり。
ここへ訪れる前は、民族は多様でキリスト教徒だけど
習慣とかがマレー人と似ているだろうと思ってました。
しかし、
そんなコトはまったくなく、彼らは全く別の習慣、歴史のあるビダユ族です。
まるで他の国へ来たかのような新しい文化に触れました。
 
ちょっと前まで、ビダユ族は ランダヤック(Land Dayak)ー 陸の民。
イバン族は シーダヤック(Sea Dayak)ー海の民。
と呼ばれていました。
どちらも、首狩り族でした。今その習慣は残ってませんが。
ホワイトラジャの前の時代まで、村々には戦士がいて戦い合っていたそうです。
 
Kg. Annah Rais03.JPGKg. Annah Rais04.JPG
 
                      米のお酒(すごく甘い)
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昔は砂糖を手に入れるのがとても難しかったそうです。
なので、写真左の物を使って自分たちで砂糖を作っていたそうです。
 
カボチャが地面じゃなくて宙に浮いてます。
地面に作ると動物が食べてしまうから、らしいです。
 
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この村に残っているロングハウスは全て木と竹で作られた高床式です。
通常、外の床の竹は雨風にあたるため1年で全部新しくして、
雨があたらないところは2年に一回取り替えるそうです。
なんとも、大変ですね。
ちなみに、ビダユ族の家の造り、イバン族の家の造り、
他の民族の家の造り方はそれぞれ違います。 
 
ロングハウスは民族の伝統的な家ですが、
そりゃもうこの時代です。
ロングハウスは修理も大変、強度も弱い。
そのため今では人々はロングハウス暮らしから、
セメントで作った個々の家へと移り住んでいます。
ホントに昔から続くロングハウスに行くには川を上り、森を抜け、
深く深くまで行かないと無いらしいです。
 
Kg. Annah Rais09.JPG
彼らは元々 戦士 でした。
ボルネオのダヤック族(ビダユとイバン)の戦士たちは
土地や交易の理由から1800年頃に首狩りの風習が始まったとされています。
山で出会った時や、結婚したとき、
運を必要とする時にも、戦士たちは戦いに出掛けたそうです。
その理由から、敵の侵入を防ぐ為に村々はもともと丘や山の上にありました。
白人王・ホワイトラジャがサラワクの王に就いてから
風習は薄れて行き人々は平地へと移動し村をつくりました。
このアナ・ライース村は1980年の戦士が最後でした。
 
この村には昔、戦士たちが村を守る為に建てた建物
パンガ・バル(Panggah Baruk) が2つあります。
戦士たちは他の住居よりも少し高く建てられたこの建物から
夜番しながら村を守ったり、音楽を奏でたり踊ったりと儀式などを行っていたそうな。
一つは近年建て替えられて、観光客たちが訪れやすくなってます。
昔は頭蓋骨が200個以上あったそうなのですが
割れたり、保存が大変で今では数十個だけです。
 
Kg. Annah Rais10.JPGKg. Annah Rais11.JPG
親族たちがクリスマス休みで会社が休みなので
この時期に結婚式が行われる事が多いみたいです。
今回も2つの結婚式がありました。 
 
Kg. Annah Rais12.JPGKg. Annah Rais13.JPG
Kg. Annah Rais14.JPGKg. Annah Rais15.JPG
                         パイナップルが屋根に。
Kg. Annah Rais16.JPGKg. Annah Rais17.JPG
1959・60年にクチンから村まで道路ができてからすこぶる便利な世の中で
昔は村からクチンまで川を3〜4日かけて下っていたのに、今じゃ1時間ちょい。
戻るときなんざ約7日。
合計で往復約10日以上ですか。。遠かったですね。
 
Kg. Annah Rais18.JPG
Kg. Annah Rais19.JPGKg. Annah Rais20.JPG
    昔の家の造り              昔のタバコ
Kg. Annah Rais21.JPGKg. Annah Rais22.JPG
クリスマスの時期にアルバイト先で毎日毎日聞いていた音楽が聞こえてくると思いきや
動物の絶叫。
豚です。
まさか豚があそこまで絶叫するもんだとは思ってませんでした。。
クリスマスなので豚だったり鳥だったりたくさん食べるそうです。
 
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Kg. Annah Rais25.JPGKg. Annah Rais26.JPG
クリスマスイブのミサ。
 
ミサはビダユ語で。
 
Kg. Annah Rais27.JPGKg. Annah Rais28.JPG
Kg. Annah Rais29.JPG
クリスマスの朝のミサ。 
みんなちょっとおしゃれして、きっちりとした格好で来てましたが
そんなこと予想もしてなかったので普段通りの服でそこにいてしまいました。
泊まってた家の家族は昔のパガン信仰よりもぜんぜんキリスト教徒でした。
若者が言うには
95%がキリスト教で5%くらいがパガンだそうな。
でもパガンは彼らの伝統文化って言ってました。
 
Kg. Annah Rais30.JPGKg. Annah Rais31.JPG
Kg. Annah Rais32.JPG
トカゲのきっついお酒です。
なかなかこの種のトカゲはいないらしく、
見つけたら水に数日入れて不純物を出せるそうです。
それで、お酒に漬けて出来上がり。
 
Kg. Annah Rais33.JPGKg. Annah Rais34.JPG
Kg. Annah Rais35.JPGKg. Annah Rais36.JPG
ご飯はマレーシア半島の米よりもおいしいです。
どうだ、西マレーシアよりおいしいでしょ、米が違う。って。
この葉っぱに包んだ調理方法は伝統的炊き方の一つ。 
 
Kg. Annah Rais37.JPGKg. Annah Rais38.JPG
Kg. Annah Rais39.JPGKg. Annah Rais40.JPG
夜にパヤンさんの友達の家へ。
マレーシアにいるとだいたいお酒はあんまり、、な場所がたくさんです。 
が、ここは全くそんなコトはなく
ちょっと飲んだら、また注がれ、またちょっと飲んだら、また注がれ。
と熱帯気候でのクリスマスの飾りも新鮮ですが
この晩酌もまたマレーシアでは新鮮でした。 
Kg. Annah Rais41.JPGKg. Annah Rais42.JPG
朝から結婚式の準備です。
昨日いた鳥たちはすでに肉塊へと姿をかえ、ぐつぐつと煮られてました。
豚の角煮くらい大きい塊で食べる事も全然ないので
ちょっとうれしかったです。 
 
Kg. Annah Rais43.JPGKg. Annah Rais44.JPG
Kg. Annah Rais45.JPGKg. Annah Rais46.JPG
Kg. Annah Rais47.JPGKg. Annah Rais48.JPG
Kg. Annah Rais49.JPGKg. Annah Rais50.JPG
Kg. Annah Rais51.JPGKg. Annah Rais52.JPG
Kg. Annah Rais53.JPGKg. Annah Rais54.JPG
スイス人のパオロさんの研究をパヤンさんが手伝ったらしく
本を持ってまして、そこからちょっと拝借。サラワク州の各民族のいる大まかな場所です。
マレー人と華人たちはやはりほとんどが海岸で、イバン族がいろんな場所にいるみたいですね。
民族はここに書かれている人たちだけじゃなく、他にもいくつかあります。 
 
Kg. Annah Rais55.JPG
Kg. Annah Rais56.JPGKg. Annah Rais57.JPG
そして結婚式。
伝統的なスタイルでやる人もいれば、現代的なスタイルでやる人もいるそうで
今回の2つともドレスとか着てましたんで、現代派でした。
ご飯も村人にふるまってまして、
日本人が一人一緒に並んでて、
おーらおらとおっちゃんたちがご飯をてんこ盛りにして、すぐにお皿はいっぱいに。 
 
Kg. Annah Rais58.JPGKg. Annah Rais59.JPG
Kg. Annah Rais60.JPGKg. Annah Rais61.JPG
Kg. Annah Rais62.JPG
生演奏をやってたり、いろんなライトで照らしてたり
あら、ここはどこでした?
ボルネオのロングハウスがあるトコじゃなかったけ?
と思ってしまうような感じでした。
みんなマレーシアの音楽に合わせて踊ってまして
その踊りがなんとも素敵な踊りで。
まさしく今の気持ちを身体でゆらゆらと表現する、そんなかんじで
やたら楽しそうでした、素敵です。 
 
Kg. Annah Rais63.JPGKg. Annah Rais64.JPG 
 
Kg. Annah Rais65.JPGKg. Annah Rais66.JPG
Kg. Annah Rais67.JPGKg. Annah Rais68.JPG
Kg. Annah Rais69.JPGKg. Annah Rais70.JPG
Kg. Annah Rais71.JPGKg. Annah Rais72.JPG
ロングハウスはこんな感じになってます。
みんな座ってお茶したり、おしゃべりしたり。
パヤンさんと村を歩いてると、やたらみんな距離が近くて
ほらほら座って、座って。 と一杯。
なんせみんな親戚みたいなものなんでそりゃそうですね。
 
Kg. Annah Rais73.JPG
Kg. Annah Rais74.JPGKg. Annah Rais75.JPG
Kg. Annah Rais76.JPGKg. Annah Rais77.JPG
パヤンさんの畑へ。 
 
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畑には米があって
一つは日本と同じ水田で、もう一つは山の斜面に。
湿った米と乾燥した米があるって言ってたので、おそらくその違いでしょか。
一見するとあんまりたくさんの種類がなさそうですが
かぼちゃ、とうもろこし、バナナ、米、キュウリ、さとうきび
パイナップル、レモングラス、とうがらし、タピオカ、しょうが。
とたくさんです。
ちなみに、さとうきびはすごい甘くておいしかったです。 
 
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扇のようなやたらでっかい葉のある木にあったのは南国果物。
ビダユ語でプルタン(Prutan)、マレー語でエンプラッ(Emplap)
英語・日本語では分かりません。
KLや他の場所でもこの実自体は見た事がなく
彼ら曰く、ボルネオ特有の果物って言ってました。
いったいこの果物はなんなんでしょか。南国のフルーツの一つ?
味はものすごく濃厚で、イチジクを数倍大きくして味を南国風に濃くしたかんじです。
この大きさを2人だけで食べるのはキツいです。7人分はいけると思います。
なんせ味がごっつりしてますんで。
 
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食虫植物もそこらへんにあります。 
  
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伝統的な、竹にご飯を入れて炊いたお米を食べさせてもらったり
収穫祭のランダヤックでやる鷹の舞の音楽を教えてもらったりしました。
竹で作った楽器です。
 
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と、そんなクリスマスでした。 
いつも、いつも快く楽しく泊まらせてもらってうれしいかぎりです。
ありがとうございます。。
 
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そして、ちょっとのクチン。
 
クチンはマレー語で 猫 の意味で
一年に一回猫祭りなるものがあるそうです。 
 
マレーシアの半島の町はだいたい
マレー、中華、インドの町ですが、ここはもう一つ
ボルネオの民族の雰囲気が加わっていて、ちょっと違いました。 
 
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そしてまたエア・アジアでKL→PJへ。 
 
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今回はすごく、すごく新鮮な旅になりました。
マレーシア半島とボルネオではあんなにも違うなんつぁ思ってもなかったです。
やはり現地に行かないと分からないことはたくさんですね。
んじゃ、サバ州もまた違うんだろう。どうなってるんでしょうか。。
 
サラワクには今度また行きます。  あー、楽しみ。
 

ペナン

(更新)

先日、懐かしの島 ペナン島へ行ってきました。
 
そう、あれはもう早いもので4年前の2006年。
FWでタイから鉄道にガタゴトと揺られて着いた東洋の真珠と呼ばれているらしい島。
あのときは4泊くらいしたんでしたっけ、毎日若者らしくアクティブに動いてました。
ペナン島の道を全然知らないのに向かったバトゥフェリンギ、浜です。
2時間で頂上と聞いて登ったら4時間近くかかって、
頂上に着いたらケーブルカーで数十分で登って来た仲間とばったりペナンヒル。
フェリーで半分無理矢理行って、絶叫ブリッジやら滝滑りをしたランカウイ島。
KLに行く時にみんな飛行機のチケットとってたの地味に知らなくて、
一人でKLに向かって施設に一番乗りした。とかとか。
と、あのころは体力ありましたね〜。いやいや、若かった。
しかし、
その話がもう4年前なんて時間は音速じゃなくて光速に近いんじゃなかろうか、と思うこのごろです。
昨年のいつかに、いつも使っているプドゥラヤ・バスステーションに
新しくきれいな待合室ができました。 
そこから約6時間。→ バタワースへ。
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到着したらすでに夜が来ていました。
24時間バタワースとペナン島を繋いでいる便利で安いフェリーにてペナン島へ。
一回来ているとはいっても、あの時は街歩きをしなかったもので
土地勘は全くなく、初めて来た場所のように道は分かりませんでした。
でも、少し歩くとあら不思議。
このペナンのジョージタウンの雰囲気が他の町と比べて少し違うのを感じました。
貿易の歴史があり、昔の建物が残っているなど世界遺産に登録されるだけの場所だからでしょうか、
人口のほとんどが華人だからでしょうか、
何でかよく分かりませんが、ペナンっぽいです。 
 
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またサイクリングで何となく行こうとしましたが、
そんな無茶はもうできなくなったのでしょうか、時間節約のためバスにて
極楽寺(Kek Lol Si Temple)へ。
ここは1890年風水にて建立の場所が決められてから増築、増築、
今もまだ造り続けているマレーシア最大の寺院。
渋滞ですごく時間がかかりましたが到着。
 
ペナンはラクサという麺が有名です。魚を使った独特の香り味わいのピリ辛麺。 
 
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土産物のトンネル、そうあれです
我が地元の江の島の通りに2mmくらい似ているな、と感じながらくぐり抜け
向かった先は極楽寺。
現代風な仏像がたくさんありました。
お参りに来るのは華人だけではありません。
インド系の人たちもこのお寺へお参りしに来ます。
 
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お寺の奥に仏塔があるのですが、お寺の全貌とペナンの町並みがちょっと見れます。
何段式なのか分かりませんが、6・7段はあろうかと。
各段に金やら白やらの仏像がたくさんあります。 
 
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右上の写真によりますと、ここは開山118年ですか。
今もほんとにたくさんの人がお参りだったり、観光に来たりしています。
右下のは数十メートルはあるつい最近出来た新しい仏像です。
 
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数年ぶりに同じ場所に来るのは楽しいですね。
主立った想い出は思い出しやすいのですが、
その時のかすかな記憶さえもそこに見えるかのように扉を開き鮮明に蘇ります。
あ、このレストラン行った。とか、この道歩いた。
そういえばここはあれだ、などなど。
懐かしいの一言につきます。
もしかしたら、FW1の人はこの街並や海に見覚えがあるかもしれないですね〜。
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125cc のバイクのレースを快音をたてながらやってました。
ペナンではこういったイベント多いんでしょうか、
KLもそりゃイベントありますが、レースのイベントなんざ見た事ないですね。 
 
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やたら目立つこの建物は、
いろいろな種類のお店やら会社やらが入った60階建ての コムタ です。
昔はここで日本のお菓子を買って、日本のお菓子ミニパーティーしました。
うわっ!日本のお菓子だ!!
今はあの初々しさが新鮮で、ちょっとこなれてしまったかもです。
 
歩いたところはジョージタウンといってフェリーの発着場所からすぐの街です。
多くの建物が新しいマレーシアの建物群になっていますが
いくつかはまだ昔の香りをほのかに感じさせてくれます。
 
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と、そんな懐かしんでたらもう帰る時間です。
今回のペナン島旅行は、お寺に行きに行ったみたいになってしまいました。
それもそのはず、ペナン島は見所がいくつかあって
全部回るのにはちょっと時間を要します。今回は我慢です。
また機会があったら行ってきます。 
 
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ハリラヤ ハジ

(12 月 14 日更新)

2009年のハリラヤ ハジ(Hari Raya Haji)は11月27・28日でした。
またの名をハリラヤ アイディル アドハ(Hari Raya Aidiladha) 。
 
メッカ巡礼のお祝いです。
コルバン(Korban – 犠牲) とも言います。
 
なのでクアラトレンガヌ州のカンポン・パシール・ラジャ(Kampung Pasir Raja)の
アドナンさん宅へ行ってきました。
カンポンはマレー語の村。
パシール・ラジャは、パシールが砂でラジャが大様を意味しています。
昔々、クアラトレンガヌ州の大様が毎年この村の川沿いの砂地へ
キャンプをしに来ていたそうです。
それ以前は決まった名前はなかったそうなのですが、
村・砂地・大様 でカンポン・パシール・ラジャという名前になりました。
 
イスラム教徒にはいくつかの義務があって、その内の一つがメッカ巡礼です。
メッカ巡礼を終えたマレーシアのイスラム教徒たちがこの時期に一斉に戻ってくるため
空港は迎える家族や友人がたくさんいるそうな。
ハジ(haji)とはある決まった時期、作法にのっとってメッカ巡礼を終えた男を意味していて
名前に「ハジ」と付ける事ができます。女性はハジャ(haja)
だから、もしマレーシア人の名前に haji と付いていたらその人は巡礼を終えた人です。
メッカ巡礼は昔のマレーシアのイスラム教徒にとってすごく、すごく大変なことでした。。
なんせ遠いので、長期間の船旅に耐えうる体力とたくさのお金が必要だったとのこと。
しかし今は、マレーシア政府が巡礼を奨励・援助していて
タブン・ハジ(tabun haji) という金融貯蓄機関があります。
メッカの街も巡礼者の数を制限していて、みんながみんな積み立てをすれば行ける。
ということではないそうです。
 
 
KLはプドゥラヤ・バスステーションからトレンガヌ州のドゥングン(Dungun)まで。
当初、受付の人に言われた6時間をとうに越して合計10時間のバス旅。
やはりみんなの休みは一緒で、そりゃ混みますね。。
到着するとアドナンさんは迎えに来てくれていて、ドゥングンからまた1時間半。
こらまたなかなか遠かったです。
 
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昔のこの村は他の町まで道が繋がってませんでした。
村人たちは毎回ボートで川を下り1日から2日かけて
一番近くの町ドゥングンまで行ったそうです。
今はアスファルトの道路が隣の村や町まで繋がってますが、
それでも60kmくらい離れてます。
村の外の学校へ通っている子によると
パシール・ラジャの村にはマレー系の人しか住んでおらず、
その子が13才になって町の学校に通い始めて、
初めて中華系やインド系の友達ができたそうです。
あらあら、そらまた、たくさんの人がいるKLとは大違いです。
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翌朝からモスクへ行き、ハリラヤハジの始まりのお祈りをしていました。
ちなみにここの村のモスクはたまねぎ型のやつのモスクじゃないです。
初めて見ましたが、高床式モスクです。
今回もマレーの男たちがモスクへ行く時に着る「バジュ マラユ」水色を着させてもらいました。
ちょっと着慣れた風が出てるまもしれません。
  
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村や地域、年によって牛の生け贄の数は違います。
今年のこの村は雄牛1頭。
モスクでのお祈りを終えた男たちがバジュマラユを着替え動きやすい服装になり、
マイナイフをポケットに入れて始まりです。
毎年やっているだけあって、数人の男たちが
「おおっい! んっ!」と手際よく順序よく事が進んで
次から次へと肉塊へと形を変えていきました。
 
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いざ肉が各部位ごとに切り分けられると、男たちはそれを細かく切り
女たちは肉をつかった料理の準備です。
小さい村なのでおそらく働き盛りの男たち、女たちの総出の作業です。
薪を使って大釜で作るので熱いの煙いのなんのって。
 
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「ほれっ。見ろ。」 みんなマレー語しか喋らないので感じで、
 と言われ、手のひらに乗ったやや薄い色の小さい肉塊
切ってから数十分経ったはずですが、何やら小刻みに動いています。 
おっちゃんは胸の中心を数回たたいて、こら心臓ですね。 
しばらく時間が経っているはずなに、しかも小さく切られているのにおそるべし心臓です。
 
おばちゃんが持ってるのはしっぽ。
 
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作業が一段落したころ、
この日は金曜日の礼拝の日なので男たちは再びバジュマラユに身を包みモスクへ。
大人は中でお祈り、子供たちは中に入らず外にいました。
しかしバジュマラユを着てるのに中へ入らず、
片言のマレー語を話す日本人が近くにいたので、そりゃ気になりますよね。
マレー語で「しーーーっ! 集中。」って言っても全然集中できてませんでした。
 
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礼拝の後はみんなでご飯。
メニューは
1、白ご飯
2、牛肉のマレー風カレー(カレー味じゃないけど)
4、牛肉煮
3、野菜と魚煮のドリアン風味
 
もうちょっと副菜みたいのがあったかもですが、
そんなかんじのコルバン1日目のおいしい昼食でした。
 
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翌朝の早朝。
アドナンさんは竹に餅米を入れて炊いたラーマン(lemang)を作ってました。
ラマダンの後のハリラヤプアサの時もこのお米を食べましたが
ハリラヤハジの時も食べるみたいです。
お祝いの料理ですね。
 
と、この日は毎年恒例ドゥンガン市のコルバン・ペルダナ(Korban Perdena)
市の一番偉い人が牛30頭〈牛1頭は3000RM(約9万)〉プレゼントしてくれて
いろんな村や地域からたくさんの人が来て、みんなでコルバンする日です。
アドナンさんたちは青い2009年コルバンTシャツに着替え朝6時半くらいに村を出発。
カンポン・ジェランガウ(Kampung Jerangau)まで約1時間。
 
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牛料理の朝食が用意されてて、まずは腹ごしらえ。
食後の9時から一斉スタートです。
全部で30頭なので、そこら中でコルバンしてました。
しかしこれまた、どこのグループも手際がいいです。
コルバンTシャツを着てポケットにマイナイフを入れた男たちはみな職人ですね。
切る前にアッラーの何やらの言葉を唱えて、
次から次へと肉塊に変わっていきます。
 
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グループによってちょっとずつやり方が違います。 
 
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各グループによって持ち運びやすい大きさに切り分けられた肉塊は
トラックに積まれ、若者たちの元へ運ばれてきます。
 
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肉がどんどん運ばれてくるので、机の上は肉だらけの大忙しです。
一人分でだいたい1kgの量に分けられて、
さらにそこからまた村ごとの量へと袋詰めされます。
おっちゃんたちはコルバンで、若い男衆と女たちはこの仕事らしいです。
 
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贈与式のあとパシール・ラジャ分ももらいました。
けっこう重かったです。
肉はちゃんと重さを量ったりするのですが、
頭などの部分は各グループがそれぞれ村へと持ち帰り
村へ戻った後はまた細かく分けられ村人へと配られます。 
 
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ココナッツ。 
 
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おっちゃんがいつも吸ってる手製タバコ。
薄い小さい乾燥した葉っぱでタバコの葉みたいのを巻いて吸ってました。
かなり火が消えやすいですがおっちゃん曰く、うまい。と。
 
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当初は1日だけしかコルバンしないのだろう。と思ってましたが
1日目、2日目、さらに3日目もコルバンをするそうです。
じゃあ朝出発して、アドナンさんの後ろに乗って川沿いまで。
 
「スダ」 「えっ? スダ?」
 
スダ とはもう終わったとかの意味です。
残念ながら3日連続コルバンはならず。
少し流れの速い腰くらいまでの深さの川を、切り分けられた肉塊が次々と渡ってきます。
ここの静かな川辺では内臓を洗って切り分けてました。
よく日本で内臓を焼き肉で食べますが、予想以上に草がまんまんに詰まってるんですね。
あれ。 初めて見ました。
  
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腸です。
中に詰まってる何やらを草の茎を使って押し出してました。
この作業は川辺のほうがいいですね。
掃除の終わった腸は、さらさらっとまとめられます。 
 
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そして、コルバンの後はやはりみんなで牛料理。
 
マレーシアでも過疎化があるらしくて、
若者たちは勉強や仕事をする為に他の町へいかざるを得ません。
この村の若者も一定の年になると他の町の学校へと行きます。
何人かの帰郷した人と話しましたが、そういえば若い兄ちゃんをあまり見てなかったです。
話した人は街のコルバンは、ただ事をやるだけだと言っていて
パシール・ラジャの村人総出のコルバンを誇りに思ってました。
続いてほしいですね。
 
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焼きバナナ。
なにやら食べたとたんに口の水分を持っていかれますが、味は芋みたいでおいしいです。 
 
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と、そんなこんなのコルバンデイズ。
なにせ英語が通じないもので、マレー語も少しずつですがチャレンジして話しています。
サヤ ボレ チャカッ シキ バハサ マラユ。なんて。
今回も最後まで親切にしていただきました、ありがとうございました。 
 
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ではでは、次はどこへ行こうか。 
 

カンボジア 2 ・ マラッカ 3

(更新)

泊まったホテルに以前、日本の芸能人の人が来たらしく
「ノリカ・トゥクトゥク乗りますか?」と聞かれまして、
それじゃあ、せっかくだからという事で
ノリカ・トゥクトゥクでベンメリアへ。約2時間
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アンコールワットを造る前に造ったのがこのベンメリア。
いわばミニ・アンコールワットというかんじらしいです。
 
前々からベンメリアは綺麗。と聞いていましたが
やっぱりここは綺麗です。
なにがって、たくさん崩れたりしていますが石の色が好きです。
元々の色を想像させてくれます。
これまた、完成当時はホントに綺麗ですごかったんだろうと思います。
 
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道の横ではペットボトルでガソリンを売ってます。 
 
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3年前はプノンペンからシェムリアップまでトンレサップ湖をボートで移動しましたが、 
今回はその湖をボートでぐるっと観光しました。
以前は5月だったけな、くらいだったので
乾期で水位が低すぎてボートが突っかかったりしました。
しかし、今回は雨期だったためかホテイアオイもいたるところに群生していて
心無しか湖の色も違ったように思います。
どうやら平均の水位が、乾期の時は4mで雨期が12mらしいです。
そんなに水位が違うんなら、そりゃ突っかかったりしますね。
 
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水上集落の人たちのほとんどが漁師です。
一部の地域にはベトナムからの移り住んで来た人たちが住んでいます。
家によっては、地面に杭を打って高床式にしている家もあれば
大きい船の上に家を作る、水上移動式家と言いましょうか。もあります。
豚や犬を飼っていたり、養殖をしていたり、学校があったり、
発電機で電気を作ったりと水上でもいろんな事ができるみたいです。 
 
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お寺のある小さな島があります。
雨期の時にどんなに水位があがっても、ここは何かに守られていて
何の影響も出ないらしいです。
 
この島で目についたのが、マレーシアでもよく見る華人の家や人です。
やはり明らかに顔が違っていて、カンボジアのほとんどの人がクメール人だと思っていたので
こんなところにも華人がいたとは。ちょっとした驚きでした。
 
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皮のお土産。
少年たちが、コンコンコン、と作ってます。 
 
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そして、カンボジアが終わりマラッカへ。
カンボジアはやっぱり良いですね、楽しかったです。
また行きたくなりました。 
 
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そして、空港からタクシーに乗りマラッカへ。
 
相変わらずトランスや演歌みたいな音楽を流しながら
自転車を漕ぐおっちゃんたちはシュールでファンキーです。
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ボートに乗ったり、マラッカのババ・ニョニャ料理を食べたり、
マラッカ観光も慣れたものとなってます。 
 
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泊まったホテルは、チャイナタウンにあるホテルで
アンティークがあったり、やたら奥行きがあったり
なかなか味のいい雰囲気が出てます。
 
「っぽい」です。 
 
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涼しい日本から来たというのもありますが
母親たちはマレーシアの暑さ、喧噪ににやられていました。
どうやら自分は少しばかし慣れているようです。
だから、あまり歩かないプランで
アフタヌーンティーしたりしました。 
 
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そんなこんなで、お土産においしいカヤジャムを持って
母親たちは日本へ帰って行きました。
海外旅行を楽しんでくれたみたいなのでよかったです。 
 
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カンボジア 1

(更新)

母親とその友達が来たので、ちょっくらカンボジアとマレーシアを案内しました。
 
到着日は、翌日の朝エアアジアでカンボジアに発つ便だったので
空港の5星ホテルに泊まってしまいました。
マレーシアを旅行する時はいつもそこらへんの宿なので
こんなキレイな‘宿’ではなく‘ホテル’に泊まるのはどれくらいぶりでしょうか。
数年前のFWまでさかのぼらないとダメかもしれません。
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マレーシアのホテルには天井にちっちゃくメッカの方角を示す矢印があります。
ここのはちょっとタマネギ型でモスクみたいです。
部屋も広いし、間違いなく綺麗でさすがですね。 
 
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4期生がいPJにいてベトナムから紺野くんが来た時に
エアアジアが何十時間も飛ばなかったので、ちょっと気にしてましたが
問題なくカンボジアへ向けて出発。気持ち的には久しぶりの海外旅行です。
 
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空港には泊まるホテルのトゥクトゥクが向かえに来ていて
タクシーでは感じられないトゥクトゥクで風を切って走る感じや、ほこりっぽさ、
覚えてる道や建物は、数年前のFWを思い出させました。気分がいいですね。
 
FWをしていた時にアンコールワットのチケットを買った時は
横の小さい建物で写真を撮って、それをチケットにしてー
って流れだったのですが、3年も経てばそりゃ進化しますね。
カウンターにはデジカメが付いててすぐに顔写真付きチケットが発行されました。
 
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遺跡のあちこちには階段や歩く場所ができていたり、
前に来た時は普通に通っていたルートが通れなかったりと
いろいろ変わるんですね。
 
変わってないものは、やたらおいしいココナッツジュースです。
このジュースの味も好きですが、中の白い実もなかなか。
でも何がいいって慣れた手つきで鉈をふるってカットされたココナッツを
遺跡を横に飲むってのがたまらんのですね。
 
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アンコールワット。相変わらず観光客はたくさんです。
ちなみにドライバーさん曰く、アンコールワットの観光は
午前だと写真を撮る時に逆光になってしまうので午後がいいらしいです。
 
しかし、ただ遺跡を見ながら歩いてるだけじゃ何も分かりません。
そこで前からやってるのが、誰かのガイドさんの説明をちょっと聞くこと。
「ここには水があったんです。」とか
「このレリーフの意味は〜、、」とか、それを聞くだけで見え方が違くなります。
がっつり聞くのはあれですから、ちょっとだけです。
 
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しかしまあ、一人で旅をしていたら絶対に泊まらない、
泊まれないであろうホテルへ泊まるので、たまにはこういうのもいいですね。
 
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アプサラダンスショー。
一人で旅をしてたら行きにくいですが今回は見れました。 
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アンコールワットの朝日です。
ほんとは気球に乗って朝日を見るプランもあったのですが、残念それは今回はパス。
ちょっと小雨の振る中、だんだんと明るくなる空とバライに映る逆さアンコール。
最高に晴れたらもっと綺麗だったのでしょうが
そうじゃなくてもアンコールワットの朝日は綺麗です。 
 
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観光地で観光客を見ると、どうしても、
あっ、これは あれだ。って思ってしまいます。
こりゃしょうがないですね。たぶん。
 
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つづく