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風の中で踊れ

一年前

 

卒業してからもなにかと学校にお世話になっている涌井です。卒業生がなんだでて来るんじゃないと言われそうですが、「写真」をキーワードに多くの人に目を通してもらえるここの場を活用しないわけにはいかないと思います。ブログの年齢は22歳ですがあれから2年間ここで言葉にすることを鍛えられ前よりも文を書くことが好きになり、写真とは切っても切れない関係を今もなお築き上げています。なのでよければこちらもみてください

 

新しいブログ http://shunwakui.hatenablog.com/

memorandom.tokyoでの写真の連載 http://www.memorandom.tokyo/wakui-shun/1397.html

写真の方の連載は去年のFWの写真ですが出せてない写真をまた新たに再編集して構成し直しています。お時間あればぜひみてほしいです。

初台の自宅での一枚

It was middle of journey ~初個展開催のお知らせ~

 

初個展開催のお知らせです。なんと今回初の個展を開催することになりました。写真は去年のFWの時の写真と東京の写真を合わせたものです。(半年間の旅を経てその尾をひきながら東京で撮っていた時の写真です。)

卒展にお越し頂けなかった方や初めて来られる方も多くの方にお越しいただきです。今回は全てのスペースが自分で使えると言うのがいいですね。

 

あの半年がなんだったのかやっとこれでひとつのケジメや終わりが見える気がします。どうしてもあの半年を引きずって過ごしていました。決してあの旅が全てではないと言うことは分かるのですが、どうにもこうにもまとまりが上手くつけれなかった自分がいました。今回はきちんと終止符を打てるので心が晴れやかです。霧があけ力強い陽の光をかんじます。

 

あわせてオープンニングレセプションも開催いたしますので皆様お誘いあわせの上いらしてください。

 

 

 

おまけ

 

『やりすぎkids』

 

沖縄梅雨の開けると夏開幕が南から迫ってくる感覚になります。団扇で熱風を扇いできてるかのようで、なんとなく暑苦しくそれでも夏のあの盛りを運んできてくれるようで緊張と興奮が入り混じった鰻重のようですね。
私はちゃんとした鰻重を食べたことがないのであまり「あの美味しさ」を知らないので、小骨がチクチクするのではないかと言う素人的な発想しかもてません。「嘘をついたら針千本飲ます」きっと鰻重もそう言うような感じなのではないかと思います。よく父親が喉に魚の骨を引っ掛けてたのを思い出します。
僕の家族はなんだか食べ物にまつわる変な話が多いような気がします。太すぎる骨を喉に引っかける父、柚子風呂の柚子ににおちんちん入れて痛がる次男、耳に米粒を入れてカラカラすると言う妹と、ジュースしかな飲まない三男、カレーに銀杏を入れてしまう祖母。
小さい頃に飴を喉につっかえてしまって父に足を持たれながら逆さにされた弟を思い出します。死ななくてよかったです。
僕はと言うとサンドウィッチを作った後に残るパンの耳を揚げ、砂糖をつけて作るカリントウみたいな物が僕の家庭には存在するのですが、食べ過ぎて気持ち悪くなってしまった記憶があります。今でも食べれません。
パンの耳から続けますと冬になると訪れる白鳥。その白鳥達にパンの耳を一気にばらまいて楽しがってた祖父を思い出します。祖父はおでんの卵がとても好きらしく、ある時一番最後に食べるように残してたそうです。そしたら飛んできたカラスにとられてしまったそうです。それからと言うものカラス嫌いなのかもしれません。昔、鳥除け用のフェイクのカラスを肩に乗せて町中を走り周っていた頃を思い出します。何者になりたかったんでしょうね。
食べ物ってのは人それぞれエピソードがあって楽しいですね。最近はポテトフライにはまっていたのですがもっと季節感のあるものが好きになってきました。今回言いたいのズバリ「麦茶」です。季語にもなるのではないでしょうか。今までは普通の市販の麦茶を飲んでいたのですが同居人のお母さんに1度麦茶を送ってもらったことがあるんです。それはグラムを計り袋詰めして飲む麦茶でした。麦茶と言うとなんだかあのパサパサした薄い袋詰めにされたものを想像されると思います。ですが頂いた麦茶は穂なんです。驚きました。黒い虫のようなさまなのですが、明らかに違う香ばしさ、そして塩味とまろやかさ。味の格が違い過ぎて目が落ちました。それからと言うもの私は毎日朝晩、麦茶を煮出して飲んでいます。少し肌寒いなと感じる夜には冷やさず温かいままの麦茶が沁みます。ほんのりと昆布茶のような生っぽさを感じる所が癖になります。是非みなさんのオンリーワン麦茶を探して欲しいです。けれど飲み過ぎやり過ぎにはくれぐれもご注意を。

 

Give me double whisky

久しぶりにブログを書きます。こうやってブログの機会を得て学校を卒業しても何かと自分の母校を思い出すことがあるのは良いことなんじゃないかなと思います。今現役でFWに行っている12期をみると1年があっという間で多くの事が振り返れて楽しいいです。各国での撮影での経験が写真だけではなく少しずつ自分の進んだ道に良くも悪くもその根を伸ばしていることをひしひしと感じています。居酒屋に行き、働いている外国人の店員さんがいると「どこから来たの」と問いたくなりベトナムやミャンマー(ミャンマーは行ってない)などの東南アジア圏の出身であると何故だか親近感や勝手な親心というか日本での生活は大丈夫かなどと言う気持ちになってしまいます。(むしろ自分の生活の方が心配なんですが。)不思議ですし店員さんは気さくな苦笑いをプレゼントしてくれます。
話は変わりますが今memorandom.tokyoで写真の連載「Give me double whisky」をしています。ベースは去年の写真の再編成で台湾からの写真を徐々に上げています。報告会などで見せられなかった写真や 新しく撮っているものも徐々に上げて行きますので是非チェックしてください。
帰国直後では自分自身で気づくことのできなかった写真の見え方や捉え方があふれ出てきます。写真が熟成されていくように感じます。「写真」は過去のことを何も変わりなく、ただ撮ったその当時をその写真紙にみせているだけなのに。写真は言葉を覚えたばかりの子供のようにどんどん話しかけてくるように感じ、無邪気があまり傷つけられそうになる時もありますが。そして写真ひとつひとつが写真作品というものを超え、とてもプライベートな自分の子供のように思ってしまう時が多い近頃です。そう言うような写真愛が育まれるのもとても楽しみになっています。作品としても自分の写真としても力強いものになっていってほしいです。
 

狼煙の行方い

帰国報告会が終わりました。ご協賛いただきましたオリンパス株式会社様、株式会社ピクトリコ様、ありがとうございました。そして友人、家族、先生、多くの人の支えがあったからこそのFWがあったし、素敵な報告会ができたとおもっています。ありがとうございました。

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帰国してからの慌ただしかった日々ににひとつピンを打てたような気がします。(ピリオドではない)そのピンが続いて行けば良いなと思いますし、そうやって年輪のように大きくなって深みのある男になりたいです。暖炉で焚いたらしっとりとこくのある匂いを出す煙のようになりたいです。

 

そう言えば友達の家にいったらサウナがあって蒔きを焼べて石に水をかけて蒸気をだして蒸されことがありました。汗をかいて、水を浴びて、汗をかいて、水を浴びての繰り返しなんですが汗をとてもかくんですね。人より代謝がいいのですぐ汗をかくのですがたまに汗が出過ぎてしまってるなと感じる時があります。肌にも気持ち的にもいいんでしょうけど僕の場合、悪いものがちょっと出され過ぎているんじゃないかと感じてしまいます。清潔くなりすぎてトンチンカンな事をしてしまいそうになります。足が軽やかになり、煙草を吸うのをやめたくなり、お酒が口から遠くなりすべて健康的になり過ぎてしまうんじゃいかとそう思います。いいものだけを集めるのもいい気もしますが、少しは遊び心というかスパイスとして身体にもなんにでも欲しいいんじゃないかなと思います。

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最近は自分の写真を編集しているのですが見れば見る程自分の写真が自分の元から離れていってどこか遠くの出来事だったかのように感じてしまうことがあります。まるで映画のエンディングとでも言いましょうか、いつか消えて無くなってしまうのではないかと感じてしまいます。「おわり」と言う文字が下から流れてきはすっと消えていきそうです。なぜそんな風に感じるかは分かりません。

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花について。僕自体はあまり花束をもらうことはありませんが花をあげることはします。一輪であげたり束であげたり、家に買って帰ったり。きちんと終わりがあるのが「いいんだろうな」と感じます。花が咲いて枯れて。枯れたら終わりと言うか一種の生から死までを見ているようで不思議な気持ちにさせられます。葉や花びらがぐったりしていきバニラアイスのように溶けていくようにも見えます。葉も花びらも重力には逆らえないのか暑くてうだっているのか首を曲げて疲れているようにも見えます。きちんと水と水切りをしてないせいかもしれません。けれどなんだか花って少し寂しく感じてしまいますね。話せるならなんて話かけてくるんでしょうか。僕の家にいる花は「タバコガケムイヨ」なんて言いそうです。

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心ジャケット

夕方町を少し歩きました。夏より風が冷たくなってきてていつも通り夜中まで一緒に遊んでいる友人は目を覚ますと疲れたと言い少し風邪気味になっていました。町中を歩く人、ランニングしてる人、買い物をしてる人、何処かへ行くと言うよりは足早に家に帰る様にも見えました。先週まで汗をかくほど暑くて早く涼しくならないかなと思っていました。けれど涼しくなるとなったで何だかこれまでの激しかった半年間の夏、半年の写真旅行が終わったんだなと改めて実感しました。虚しい気持ちほんの少々、達成感少々、写真への決意多々。終わったと言うより本当に始まったんだなと日々痛感よりも快感しました。耳にする音楽は少し寂し気で食べ物は少し温かいものを好むようになりました。

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夏は日が長くていつまでも暑くてどこへ行っても人がいて物音が絶えなくて自然と時間が過ぎるのが早かったような気がします。今ではもう夕刻五時になると真っ暗で。喫茶店に入りコーヒーを一杯頼んで小腹が空いたからフライドポテトを食べて店を出るともう夜で。夜は好きなのだけれどもここから始まる夜はあまりに長すぎて。そこまで寒くないのに少し厚めのジャッケとを羽織ったりして。それがまるで自分自身に被せているようで何を怖がっているんだろと、ふと自問自答してしまいました。dsc09223

春から始まり夏に飛び、秋を通り冬を越す。なんて月日がすぎるのは早いのだろうか。少し悲しくなりました。何をしていなくても時間は過ぎるし何かをしていても時間は過ぎるし。季節は僕らにいたずらだし。心は移ろうし、どんどん加速するこの体感時間は止まらないのでしょうか。お母さんが作ってくれた温かいみぞれ鍋が食べたいです。dsc09119

シカオ

東京に帰り次の日に僕はさっそく実家に帰りました。実家にいた時間はそれほど長くなくて翌日には青森に向けて旅立ちました。高校からの友人渡辺と男二人旅でした。東北の上の方はあまり行ったことがなくて中学生の頃仙台に研修にいったり、夏の海に家族で行ったりとしっかり町を見て回るといったことはしたことがありませんでした。
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朝6時に出発の予定でしたが気づいた頃には7時になっていて自分の意思の弱さを痛感しました。母親に作ってもらったお弁当には2種類のオニギリ、卵焼き、ソーセージ、きゅうり、たこリングのフライが入っていました。高校生の頃は3年間お弁当生活だったので久しぶりに弁当らしい弁当を食べて懐かしさに心が優しくなりました。dsc08916blog
車で東北道を北へ進みました。渡辺と交代ずつ車を運転しお昼頃には青森につきました。何を話していたのか分かりませんがずっと話していました。車をそのまま白神山地に向け走り続けました。ブナの森を軽く散策しました。やっていることが年寄り臭くて少し自分達にがっかりしつつもブナの森を歩きました。父から持たされた熊除けの大きな鈴はブナの木々に落ちる柔らかい小雨の音は消されていきました。
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2日目は十二湖へ行きました。青池の帰りお土産屋さんに寄ったのですが青森の名物かなにかの林檎酢ジュースが試飲できました。一台のジュースの機械が置いてあり「お一人さま一杯まで」と書かれていました。機械わきに置いてある白い試飲用コップを使い飲むようになっていました。試飲機械の前には1人の女性の観光客が立って試飲していました。言葉からすると外国人だったと思うのですが彼女は水筒を持っていたんですね。登山用に自分の水筒をもってきたんでしょうね。ちょこっと水筒に入れて試飲していました。やや酸味があるのものだったのでやや渋い顔していました。外国人の人はあんまりお酢は飲んだりしないだろうから驚きなんだろうなと思っていました。店内を軽くて見て何か買おうかなと思いましたがあまりパッとするものは無くてお店を出ようしました。するとさっきの試飲の女性が一緒に来ているとみられる仲間になにや飲ませていました。よく見るとそれはさっきの林檎酢のジュースでした。ジュースは水筒にたっぷり入っていてそれを友達に分け与えていました。意外と気に入ったのか口元まで水筒を持ちあげて飲ませてあげていました。dsc08946log
一杯までと書いてあったけどその一杯は違うんじゃないかなとも思いましたが美味しそうに飲んでもらえてなんだか微笑ましくなりました。

タイムロード

ソウルに背を向けて釜山に向かっていますが、この列車は座席が進行方向と逆なので、胸はソウルへ向けて背中は釜山に向けて僕は列車に乗っています。いつもの迫ってくる景色はなく、町のビルや街路樹どんどん視界に入ってきては遠くに行き開けてきます。まるで僕は巻き戻しをされたビデオの中にいるようです。体感の時間は進んでいるのに目に入る世界は戻っていくようでなんだかタイムトンネルがあればそんなトンネルをくぐっているようです。
そんなトンネルはないので結局時間も身体も時間の輪を抜けてゆくのですね。
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僕自身もまだまだ若いと思いたいんですが時間はそうはしてくれないので日に日に大人と言うか年をとるとはこう言う事なのではないかと実感します。ついこないだまで20歳だったのに目を閉じて開けたらいつの間にか23歳で今やっとこの歳で時間をみれるようになってきたんだなと考えるし、初めて実感できる世界や現実の触感を楽しんでいます。「じゃあ今までは何をしてきたの?」と問われると「一体僕は何をしてきたんだ」と自分自身でも思いますけど。生きるのに精一杯だったと言うしかないです。dsc08797blog
感覚を主に生きてる僕にとって何かを実際に考える事はとても難しくて綱渡りでは無いけれど感覚と言う一本の糸しかなかくてそれが紐になって、綱になって僕の感覚はそうは簡単に切れないものになってきいるように感じます。弱い感覚なんて言うのものは直ぐに切れてしまうし、その感覚は安いと思うんですよ。その辺の感覚屋さんで買った安い感覚を堂々と自分の感覚と言い放てるそんな人間にはなりたくなかったですし、ちょっとくらいで捨ててしまえるような感覚も要らないと思います。感覚って手に掴めなくて実態の見えにくいものだけれどそれが手に掴めるようになってきたと言うことです。
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こうやって文章を書いていても考えて書くと言うより持った鉛筆と手がペラペラお喋りをしているようです。
けれどこれからも苦労するだろうし、嫌になる時がくるんだと思います。
これからが話(写真)の始まりだと思うと面白いです。今までの人生は今後の話(写真)の回想や伏線になるんだなと思うととても興味深いです。

石焼カシマシ

 

ソウルはいつも通りの日常を取り戻したかのようにお店は開き、歩道には人が歩き、活気と言うのか普通のソウルに戻ったように感じます。日常のソウルが分からない僕にとってこの国の日常はこれからなんでしょうけど旅はあと四日で終わってしまいます。大阪の南港について一つの区切りができることによって大きな節目になるわけですがなんだか寂しいです。日本に帰りたくないとかではなくて、純に旅の楽しさを知れた気がするし、もっともっと色々な所を人を見てみたい。旅の為に旅をできた僕にとってこれから始まるのが本当の旅になる。と思うと次はどこへ行こうかなと考えるだけで手が震えるほど興奮するし心拍数が上がって身体よりも内側の自分自身が前のめりになって出てきそうになります。手にはビショッリ汗をかくし手の平を擦り合わせて興奮をおさめようとしています。

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ソウルにきて思ったのですが西の方の出身の女の子達が旅行で沢山来ていることに驚きました。韓国は日本から近いと言ってもここまで西の方の女の子が多いとは思いもしませんでした。先日ビビンバを食べに行ったのですが、隣に座っていた二人組の女子は食べるより喋ると言う感じでした。盗み聞きするつもりは無かったのですがあまりにも話が下品で思わず聞き入ってしまいました。性についての話、毛の処理のあり方、男女の関係詳しくは書けない程に事細かに話していました。お昼の石焼ビビンバ食堂で大きな関西弁で話していました。あの話し方だと兵庫の方じゃないんでしょうか。そんな話に思わず笑いそうになってしまいぐっと歯に力を入れて堪えていました。すると「隣の彼、外国人かな?後で聞いてみようよ」と話しているのが聞こえてしまいました。あゝ今までの話を全部聞かれているのに僕に「Where are you from?」って聞いて「日本人です。」って答えるのは何だか彼女たちに恥をかかせるようだし酷だなと思いジェントルマンは足早にお店を後にしました。ところで石焼ビビンバの味は覚えていません。
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グルグルソウル

韓国はソウルに来ています。日本から近い割に来たことがなくて初めて来ました。韓国の友達は幾人かいるのでなんとなく韓国の雰囲気は聞いていましたがやっぱりイメージとのギャップってのはなかなかあるものですね。運がいいのか悪いのかちょうど韓国のお盆とかぶってしまい町中は静かでお店はほとんどしまっています。けれどどこか日本でも感じたことのある静かな町の雰囲気は子どもの頃に感じたお盆の期間と似ているように感じます。昼間の地元の静かなシャッター街を一人自転車をこいでいた時の感覚に似ているかもしれません。このままどこか違う場所にいってしまうんではないかと、恐くはないけれど奇異に感じ、もしかしてどこかへ行けるかもしれないと思って少し期待していました。人のいない場所に妖艶さを感じてしまうのは昔からかもしれません。場所が場所として人がいなくてもその場として存在してる時の逆の存在感はとても神秘的と言うか神妙です。

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ソウルでは以外と韓国料理のお店が多くて驚きです。大きい都市なので国際色豊かな感じかと思ったんですがそうでもなくどこを見渡しても韓国料理のお店が多いです。サムギョプサル、サムゲタン、ビビンバ、韓国なので当たり前のことなんですが思いの外多くて東京で想像すると寿司屋とラーメン屋しかないのかと言うようなそんなくだらない妄想をしてしまいました。
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韓国まで来て思いましたが世界のおばあちゃん達をみてきて思ったのですが日本のおばあちゃんは柔らかいおばあちゃんが多いと思いました。柔らかいといっても身体が柔らかいってことではないですよ。他の国だと色濃く活力に溢れているおばあちゃんが多い気がします。アクティブだし若者より元気な気がします。年を重ねると丸くなるといいますが、丸くなるばかりか逆にしっかりとした形を形成していって若者に負けじと生き生きしていてとてもいいなと思います。たまにそんなに元気じゃなくてもいいでしょっていう時がありますが。

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例えば先日電車に乗っていたんですが、どの駅がどの駅が分からないので一駅一駅ドアが開くたびに確認していました。座っていたので振り向いて確認する程度です。5秒位確かめた後でした正面に振り向くとすぐ何か視界に入り込んできました。カーキ色のパンツでした。あまりにも近くて驚きました。すぐに視線を上に向けるとお洒落に着込んだおばあちゃんでした、白い丸帽にくるりとカールのかかった白い髪の毛、薄紫のジャケット、レースの付いたシャツ、胸にはブローチ、そして花柄の日傘をもっていたおばあちゃん。僕の目の前で両手でつり革に掴まり、両足揃えつま先立ちになり腰を中心にぐるぐると回り始めました。右回りに5回左回りに5回、前後に大きく5回。おばあちゃんがグルグル運動をするたび丁度僕の顔の目の前におばあちゃんの股の辺りが迫ってきは去り迫ってきては去っていきまし。ペースの速いさざ波のようでした。
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わざわざ僕の目の前でやる必要はなかったんじゃないかと思うんですが、きっとそのおばあちゃんはグルグル運動の衝動を押さえられなっかたんだと思います。

人間博物館

先々週の今頃は何をしていたのだろうかと問うと何をしていたのか分からないほど遠い記憶のように感じます。たった二週間前のことも覚えていられないなんてどうしたのだろうか何も一年前ではないし、ましてや10年前のことでもないのにすぐ色々な事を(忘れてしまう)又は(忘れようとしている)忘れる事に対して罪悪感がないのもいけないのかもしれないです。けれど僕の場合約束を忘れることは基本ほとんどなくて、むしろ約束を破る方が多いかもしれないです。約束と言う三角の紙を粉々に千切って火をつけて灰にして風にさっらていってもらっています。なにもなかった事にしているように自分自身で感じます。「いいえ、ここには元から何もありませんでしたよ」って自分に言い聞かせて相手にも言い聞かせているみたいです。けれどそんな事は滅多にしてないと思いたいです。そんな(忘れる事)を自分自身にも強要していると思うとなんだか少し辛いです。一体どこに仕舞っているのでしょうか、隠していると言った方が近いかもしれないです。それで結局自分で隠した場所も忘れてしまっているんだと思います。

dsc08148blogところで先々週の土曜日は何をしていたのかと言うと。ジャマイカからきた二人の兄妹と友達とくだらないゲームをしていました。カップラーメンを食べました。何かを左足にこぼしました。気ずくと朝、隣に友人が寝ていました。びっくりしました。寝て起きたらいるはずのない人が寝てたら「うわぁ」ってなりますよね。ならないほうが可笑しいし、夢でも見てるのかと思いました。

dsc08158blog本当に「うわぁ」なんて言うのかと思うかもしれませんが、「なんでそんなにオーバーリアクションなの?」って聞かれるほどには意外とリアクションは大きめです。目が死んでるとか、本当は思ってなさそうだと言われる機会が多くありました。心の底からではないけれど底に近いところからリアクションをしています。それについてちょっと悩んだ時期がありました。その結果身振り手振りをもって伝えやすくしようとなったのかもしれません。そのおかげで前よりも「本当は思ってないでしょ」って言われる機会は減りましたが、身振り手振りリアクションに注意がいって、そんなに言葉には興味がなくなるのかもしれませんね。りんご飴やチョコバナナと一緒な気がします。色とりどりの飴の色、チョコにつぶつぶの装飾、ベースとなる部分はその時になると対して欲しくはならない、周りの飾りだけで満足してしまう食べ物と同じかもしれません。

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なにかの小説で、本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ、とありました。僕は基本的に陽気だし飄々としているので、深刻な事を伝えるときは果てしなく陽気にならないと伝えられないのかもしれないと思うとなんだか少し違う気がしてしまいます。そんな深刻なことを陽気に伝える奴は好きにはなれないかもしれません。「だれだれが死んだんだよね。あはは」深刻なのになんだか強そうに見せたり元気に見せる奴ってのは、博物館のガラスケースの中で変な笑みを浮かべる剥製の動物の様で何か妙に感じてしまいます。

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