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風の中で踊れ

タイムロード

ソウルに背を向けて釜山に向かっていますが、この列車は座席が進行方向と逆なので、胸はソウルへ向けて背中は釜山に向けて僕は列車に乗っています。いつもの迫ってくる景色はなく、町のビルや街路樹どんどん視界に入ってきては遠くに行き開けてきます。まるで僕は巻き戻しをされたビデオの中にいるようです。体感の時間は進んでいるのに目に入る世界は戻っていくようでなんだかタイムトンネルがあればそんなトンネルをくぐっているようです。
そんなトンネルはないので結局時間も身体も時間の輪を抜けてゆくのですね。
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僕自身もまだまだ若いと思いたいんですが時間はそうはしてくれないので日に日に大人と言うか年をとるとはこう言う事なのではないかと実感します。ついこないだまで20歳だったのに目を閉じて開けたらいつの間にか23歳で今やっとこの歳で時間をみれるようになってきたんだなと考えるし、初めて実感できる世界や現実の触感を楽しんでいます。「じゃあ今までは何をしてきたの?」と問われると「一体僕は何をしてきたんだ」と自分自身でも思いますけど。生きるのに精一杯だったと言うしかないです。dsc08797blog
感覚を主に生きてる僕にとって何かを実際に考える事はとても難しくて綱渡りでは無いけれど感覚と言う一本の糸しかなかくてそれが紐になって、綱になって僕の感覚はそうは簡単に切れないものになってきいるように感じます。弱い感覚なんて言うのものは直ぐに切れてしまうし、その感覚は安いと思うんですよ。その辺の感覚屋さんで買った安い感覚を堂々と自分の感覚と言い放てるそんな人間にはなりたくなかったですし、ちょっとくらいで捨ててしまえるような感覚も要らないと思います。感覚って手に掴めなくて実態の見えにくいものだけれどそれが手に掴めるようになってきたと言うことです。
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こうやって文章を書いていても考えて書くと言うより持った鉛筆と手がペラペラお喋りをしているようです。
けれどこれからも苦労するだろうし、嫌になる時がくるんだと思います。
これからが話(写真)の始まりだと思うと面白いです。今までの人生は今後の話(写真)の回想や伏線になるんだなと思うととても興味深いです。

石焼カシマシ

 

ソウルはいつも通りの日常を取り戻したかのようにお店は開き、歩道には人が歩き、活気と言うのか普通のソウルに戻ったように感じます。日常のソウルが分からない僕にとってこの国の日常はこれからなんでしょうけど旅はあと四日で終わってしまいます。大阪の南港について一つの区切りができることによって大きな節目になるわけですがなんだか寂しいです。日本に帰りたくないとかではなくて、純に旅の楽しさを知れた気がするし、もっともっと色々な所を人を見てみたい。旅の為に旅をできた僕にとってこれから始まるのが本当の旅になる。と思うと次はどこへ行こうかなと考えるだけで手が震えるほど興奮するし心拍数が上がって身体よりも内側の自分自身が前のめりになって出てきそうになります。手にはビショッリ汗をかくし手の平を擦り合わせて興奮をおさめようとしています。

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ソウルにきて思ったのですが西の方の出身の女の子達が旅行で沢山来ていることに驚きました。韓国は日本から近いと言ってもここまで西の方の女の子が多いとは思いもしませんでした。先日ビビンバを食べに行ったのですが、隣に座っていた二人組の女子は食べるより喋ると言う感じでした。盗み聞きするつもりは無かったのですがあまりにも話が下品で思わず聞き入ってしまいました。性についての話、毛の処理のあり方、男女の関係詳しくは書けない程に事細かに話していました。お昼の石焼ビビンバ食堂で大きな関西弁で話していました。あの話し方だと兵庫の方じゃないんでしょうか。そんな話に思わず笑いそうになってしまいぐっと歯に力を入れて堪えていました。すると「隣の彼、外国人かな?後で聞いてみようよ」と話しているのが聞こえてしまいました。あゝ今までの話を全部聞かれているのに僕に「Where are you from?」って聞いて「日本人です。」って答えるのは何だか彼女たちに恥をかかせるようだし酷だなと思いジェントルマンは足早にお店を後にしました。ところで石焼ビビンバの味は覚えていません。
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グルグルソウル

韓国はソウルに来ています。日本から近い割に来たことがなくて初めて来ました。韓国の友達は幾人かいるのでなんとなく韓国の雰囲気は聞いていましたがやっぱりイメージとのギャップってのはなかなかあるものですね。運がいいのか悪いのかちょうど韓国のお盆とかぶってしまい町中は静かでお店はほとんどしまっています。けれどどこか日本でも感じたことのある静かな町の雰囲気は子どもの頃に感じたお盆の期間と似ているように感じます。昼間の地元の静かなシャッター街を一人自転車をこいでいた時の感覚に似ているかもしれません。このままどこか違う場所にいってしまうんではないかと、恐くはないけれど奇異に感じ、もしかしてどこかへ行けるかもしれないと思って少し期待していました。人のいない場所に妖艶さを感じてしまうのは昔からかもしれません。場所が場所として人がいなくてもその場として存在してる時の逆の存在感はとても神秘的と言うか神妙です。

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ソウルでは以外と韓国料理のお店が多くて驚きです。大きい都市なので国際色豊かな感じかと思ったんですがそうでもなくどこを見渡しても韓国料理のお店が多いです。サムギョプサル、サムゲタン、ビビンバ、韓国なので当たり前のことなんですが思いの外多くて東京で想像すると寿司屋とラーメン屋しかないのかと言うようなそんなくだらない妄想をしてしまいました。
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韓国まで来て思いましたが世界のおばあちゃん達をみてきて思ったのですが日本のおばあちゃんは柔らかいおばあちゃんが多いと思いました。柔らかいといっても身体が柔らかいってことではないですよ。他の国だと色濃く活力に溢れているおばあちゃんが多い気がします。アクティブだし若者より元気な気がします。年を重ねると丸くなるといいますが、丸くなるばかりか逆にしっかりとした形を形成していって若者に負けじと生き生きしていてとてもいいなと思います。たまにそんなに元気じゃなくてもいいでしょっていう時がありますが。

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例えば先日電車に乗っていたんですが、どの駅がどの駅が分からないので一駅一駅ドアが開くたびに確認していました。座っていたので振り向いて確認する程度です。5秒位確かめた後でした正面に振り向くとすぐ何か視界に入り込んできました。カーキ色のパンツでした。あまりにも近くて驚きました。すぐに視線を上に向けるとお洒落に着込んだおばあちゃんでした、白い丸帽にくるりとカールのかかった白い髪の毛、薄紫のジャケット、レースの付いたシャツ、胸にはブローチ、そして花柄の日傘をもっていたおばあちゃん。僕の目の前で両手でつり革に掴まり、両足揃えつま先立ちになり腰を中心にぐるぐると回り始めました。右回りに5回左回りに5回、前後に大きく5回。おばあちゃんがグルグル運動をするたび丁度僕の顔の目の前におばあちゃんの股の辺りが迫ってきは去り迫ってきては去っていきまし。ペースの速いさざ波のようでした。
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わざわざ僕の目の前でやる必要はなかったんじゃないかと思うんですが、きっとそのおばあちゃんはグルグル運動の衝動を押さえられなっかたんだと思います。

人間博物館

先々週の今頃は何をしていたのだろうかと問うと何をしていたのか分からないほど遠い記憶のように感じます。たった二週間前のことも覚えていられないなんてどうしたのだろうか何も一年前ではないし、ましてや10年前のことでもないのにすぐ色々な事を(忘れてしまう)又は(忘れようとしている)忘れる事に対して罪悪感がないのもいけないのかもしれないです。けれど僕の場合約束を忘れることは基本ほとんどなくて、むしろ約束を破る方が多いかもしれないです。約束と言う三角の紙を粉々に千切って火をつけて灰にして風にさっらていってもらっています。なにもなかった事にしているように自分自身で感じます。「いいえ、ここには元から何もありませんでしたよ」って自分に言い聞かせて相手にも言い聞かせているみたいです。けれどそんな事は滅多にしてないと思いたいです。そんな(忘れる事)を自分自身にも強要していると思うとなんだか少し辛いです。一体どこに仕舞っているのでしょうか、隠していると言った方が近いかもしれないです。それで結局自分で隠した場所も忘れてしまっているんだと思います。

dsc08148blogところで先々週の土曜日は何をしていたのかと言うと。ジャマイカからきた二人の兄妹と友達とくだらないゲームをしていました。カップラーメンを食べました。何かを左足にこぼしました。気ずくと朝、隣に友人が寝ていました。びっくりしました。寝て起きたらいるはずのない人が寝てたら「うわぁ」ってなりますよね。ならないほうが可笑しいし、夢でも見てるのかと思いました。

dsc08158blog本当に「うわぁ」なんて言うのかと思うかもしれませんが、「なんでそんなにオーバーリアクションなの?」って聞かれるほどには意外とリアクションは大きめです。目が死んでるとか、本当は思ってなさそうだと言われる機会が多くありました。心の底からではないけれど底に近いところからリアクションをしています。それについてちょっと悩んだ時期がありました。その結果身振り手振りをもって伝えやすくしようとなったのかもしれません。そのおかげで前よりも「本当は思ってないでしょ」って言われる機会は減りましたが、身振り手振りリアクションに注意がいって、そんなに言葉には興味がなくなるのかもしれませんね。りんご飴やチョコバナナと一緒な気がします。色とりどりの飴の色、チョコにつぶつぶの装飾、ベースとなる部分はその時になると対して欲しくはならない、周りの飾りだけで満足してしまう食べ物と同じかもしれません。

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なにかの小説で、本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ、とありました。僕は基本的に陽気だし飄々としているので、深刻な事を伝えるときは果てしなく陽気にならないと伝えられないのかもしれないと思うとなんだか少し違う気がしてしまいます。そんな深刻なことを陽気に伝える奴は好きにはなれないかもしれません。「だれだれが死んだんだよね。あはは」深刻なのになんだか強そうに見せたり元気に見せる奴ってのは、博物館のガラスケースの中で変な笑みを浮かべる剥製の動物の様で何か妙に感じてしまいます。