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風の中で踊れ

写真寺八人坊

 

雨の中バスに乗車しました。髪も濡れていて仕方なく上着のシャツで軽く拭きました。しかし髪の毛から滴る水はなかな止まりませんでした。結構濡れたんだなと思って席に座っていました。すると太ももにポツン落ちてきました。頭の位置と太ももの位置は正座でもしていないと重ならないと思い上をみました。
バスのエアコンの送風口から水が滴り落ちていてよく座席をみると水が染み込んでいてぐっしょりでした。
叫んで暴れてやろうかと思いました。バス運がないんだと思いました。安くて時間も有効的に使えるバスのバス運がこんなにもないなんて悔しいです。
そんなバスのおかげでジャカルタに着いた頃にはやや風邪気味になってしまいました。気管が狭くなって息がしずらいです。病気系は気合で治す派なので精神的弱くならなければ滅多に病気になることはありません。「病は気から」という言葉が大好きです。音楽を聴いてれば治ります。あとはご飯をたくさん食べることですね。治る治るって思ってると意外とすぐに治ってしまいますね。
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あとは豚のように寝ることが大切だと思います。寝るとたくさんの夢を見ます。前のブログでも軽く眠ることについて書きました。ひとつ、夢ノートから引っ張り出してきたので紹介したいとおもいます。
「小高い山に沢山の家があった。住宅街の隙間を通るコンクリートの階段が続いていた。階段を登るにつれて木の根が剥き出しになり、コケが覆っていった。地面は湿りぬかるんでいた。進むうちに道は狭まり、マングローブのようなツルのシッカリとした根が生い茂った川のそばを歩いていた。山の頂上が川になっていた。川を渡ることになり、身体は川へ沈んだ。するとどこからか茶色の大きな蛇が沢山泳いできた。蛇に囲まれ一匹の蛇が僕の手に噛み付いた。痛みはなかった。二匹目が噛んでやろうと僕を狙っていた。僕は手を蛇のように折り曲げ高速で腕を左右へと振った。それは蛇の拳だった。」
本物の蛇と素手で戦う夢です。「蛇の拳」実際やってみると少々滑稽に見えるので鏡に向かってやってみて下さい。左手を右肘につけて右手は前方に90度曲げます。そして左右に素早く動かす。
夢はその日あったことを整理したりしているといいますがまったく蛇なんて日常的に見ることはないのにおかしいですね。
なにからインスパイアされたんでしょうか「少林寺三十六房」かもしれません。本当は三節棍で戦いたいところでした。後半にある中国では少林寺に行きたいとおもいます。涌井家のルーツが探れるかもしれません。
皆さんは一体自分はどんなもので構成されてるのか考えたことはありますか。
写真を勉強していると写真のコンセプトを立てたり、撮った写真を読み解くにあたって自分が育ってきた環境や物事が大きく影響してきます。僕の場合なんなのかまだよくわからないですが映画や音楽、本は大きく影響しています。しかも最近のとゆうよりは子供だったころの体験が大きく影響しています。山に行ったり海へいったりその道中に聞いていた音楽や家で見ていた映画や絵本が今の自分に深く関わってきています。
きっとこの旅の影響も後々出てくるのかもしれません。
なんでかこの旅の出発前は行きたくありませんでした。両親にも先生にも友人達にも行きたくないと言っていました。絶対いかないものだと僕自身の中で決めていました。結局は行くことになって今に至るんですが、今の所旅に出て良かったと思っています。なんでそんなに行きたくなかったのか忘れてしまいました。都合のいい奴ですね。
何がいいかと言うとほとんど一人なことです。別に誰かと一緒にいるのがいやだとか過ごしにくいとかっていう訳ではないんです。東京にいると周りには沢山の素敵な友人や知人がいて、いつも頼ってしまっていました。今思うとおしめを換えてもっらてるような感覚に近いですね。身長が180センチもある駄々っ子のおしめ換えは大変だったんじゃないでしょうか。
そんな沢山のお父さんお母さんを置いて(本当は連れて行きたかった)東南アジアに行くことは正直いやでした。けれど町へ出てみると意外と自分で歩けたり、話せるし、尻も少しは自分で拭けるようになってきたかと思います。写真とも初めて「 Hi, there」と言葉をかけられた気もします。こんなにブログばっかり書いて「本当に写真撮ってるの?」って思うかもしれませんが「撮ってるよ」って言える少しの勇気もつきました。
おしゃべりの口が達者の口だけ男にならないで済みそうです。ほぼ一人ですから話す相手もいませんから自分と自分で話すしかありません。
「みてこの景色とても綺麗だよ」
「本当だね、とても綺麗だよ」
「写真撮っとく?」
「そうだね、撮らなきゃね」
「この人の写真撮りたいな」
「撮ればいいじゃないか」
「けどどうやって声かけよう」
「そんなの簡単だよ」
「だけど緊張するな」
「大丈夫だよ、うまくいくから」
「あ〜行っちゃったよ」
「お前に勇気がないからだよ」
なんて感じに自分の中で会話をしています。やや不気味かもしれないですね。そんなことを繰り返してるいるうちに1カ国、2ヶ国と過ぎ前半が過ぎました。
落ち込んだ時は元気になる曲をきいて頑張っています。
をきいて元気を出します。
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インドネシアでのみんな
左から
            アジアの国々へ       撮って 撮って 撮りまくる

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出発前の自分とはサヨウナラしたいですね。

いつも見てくださってる読者の皆さま、ありがとうございます。

(この読者って一度使ってみたかったんですよね)

アダルト・オレンジ

トラジャで一番高い山にいきました。
山の名前は忘れました。夜は星が綺麗にみえました。「僕らの悩みなんてこんな大きな宇宙からみたら小っぽけなもんだ」なんては思いませんでしたがとても綺麗な星空を見る事が出来ました。東南アジアを旅していて今まで一番涼しかったです。
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もうちょっとで2ヶ月半の旅に一時帰国が入り休憩の様な、気合の入れ直しの様な、癒しの様なちょっとした羽休め的な期間になります。撮った写真を先生に見せるんですが、もっと大きく羽を伸ばせるようになるか、羽が休まるどころかかえって抜け落ちたりするんじゃないかと色々な不安はあります。
なかなかこう独りの時が多いので考えることは沢山ありますね。このブログだってその日の事よりその町で出会った人や起こったことなど何かを気に思い出した事を書いていたりして、これで良いのかなと思ってますが、「まあいっか」って思って書いてます。
けどこう不特定多数の人に見られていると思うと少々恥ずかしい所はあります。あまり嘘は書きたくないのでなるべく素直に書いていますが、特に父と母に見られていると思うと恥ずかしいです。
けど今まで自分の思っていたこと聞かれても、はぐらかしたりしていたのでいい機会かもしれないです。
「お父さん、お母さん、Thank you and  Sorry 」
こうゆうところなんでしょうね。穴があったら隠れたいどころか掘って掘ってトンネルを作りたい勢いです。どんな勢いか分からないですけど。
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2ヶ月半で約25回ほど更新しましたが色々とネタ探しも大変ですね。僕自体お喋りなんで全く困らないんですけど一回だけ「The Music of Shun ~私を育てた音楽 ~」って言う記事でもいいんですがラジオで4時間位、僕の説明付きで皆んなに思い出の曲達を聴かせてあげたいです。
人に見せたがったり聴かせたがったりってのは父親譲りです。
実家ではマトリックスのトリニティーとネオがモーフィアスを助けに行くためにビルのロビーで撃ち合いになるシーンがあるんですが100回以上は見させらています。なんだか見たくなってきました。
雨が降ってきました。宿泊している建物が築350年の7世代受け継がれた家なので屋根には苔が生え窓は木です。
雨の音がしとしとと聞こえ、遠くにいる雷とカエルが歌い虫達が鳴き、どこからか聞こえるもぞもぞとした話し声が昔のアパートの夜を思い出させます。
布団に入る頃にはリビングで父と母が2人でなにか話をしていました。
小さい僕は耳を澄ませました。父と母が何を話しているのかは分かりませんでした。
隣の部屋なのになんだか遠くに聞こえてたような気がしました。オレンジ色の豆電球がそうさせてたのかもしれないです。
アパートの目の前には大きな田んぼがあました。夜になるとカエル達が鳴きその声を聞いて眠りに落ちていました。

死者への祭りランブソロ

 

 

 

スラウェシュ島のトラジャに来ています。標高1000メートルに位置している町ですがたいして身体に負担はありません。

想像以上に辛かったバス移動、街を出たのは夜の9時、到着したのは朝の7時半。

 

体は軋み腰と肩がズタボロでしたが朝から市場を見に行きました。市場は市場でも水牛の市場です。この水牛はトラジャ固有のお葬式の生贄に捧げられる神聖な水牛です。値段は様々で黒い子牛は約10万円から始まり、大きさ角の生え方と色で値段が高くなっていきます。

角は上向きにに生えている方が運が上がるとゆう意味で高くなり、色は黒よりも白い色が多い方が高くなります。

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この写真の牛は200万くらいだったでしょうか、中にはもっと高くなる牛もいるそうです。

 

このトラジャ地方では葬式が少し違っていて家族が死ぬとすぐに埋葬するのではなく、死体に薬品の処理をして家の中においてしばらく一緒に暮らすそうです。死んだというよりは眠っているとかそのような感覚に近いらしいです。家で一緒に暮らす期間は様々で2年だったり、長くなると10年だったりと様々でらしいです。そして埋葬するときに水牛達を捧げるために生贄にします。ここトラジャの人々の宗教はクリスチャンでありながらこのような文化があります。

 

今回はそのお葬式に行ってきました。80歳で亡くなった女性の式でした。彼女は1年前に亡くなり一年は一緒に暮らしていたそうです。

 

彼女には5人の子供たちがいて孫が45人いるそうです。本当なのかと疑いそうになりましたけど本当らしいです。式にはおよそ500人の参列者がいました。町の役人、神父、近所の人々、遠くに暮らす親戚、いろいろな人が来ているらしいです。

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生贄に捧げる水牛の数も多様で多ければ多いほど死者が高い位置の天国にいけるとされており、今回の水牛の生贄数は30頭だそうです。

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式は5日に渡り開催されます。今回行ったのは二日目の回でした。

 

二日目は移動の日でマパラオとよばれています。死者を御輿に乗せ村を歩く日だそうです。乗せるといってもきちんと木製の棺桶に入っています。日本のようにシンミリと静かには行われず一種のお祭りのようになっています。

 

男たちが奇声をあげながら棺桶をわっしょいわっしょいします。本当にわっしょいわっしょいしています。スコールで泥だらけになった足場に水牛の糞交じりですが構わず叫びながら裸足で村を回ります。

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このマパラオに死者は亡くなったとされます。それまでは寝ているか病気のどちらかだそうです。

その間におじいちゃん達は輪を作り手をつなぎ歌いながらお祈りをします。その他にも竹で木を突き太鼓のようにして音楽を奏でるおばあちゃん達もいました。

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全てが非日常ですごく目が回りました。

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魔法は鍋で作られる

 

 

案外最初はひとりになる事が寂しかったんですけど、慣れるとこわいものでひとりの方が楽だと思ってしまう事があります。ずっと同じ食べ物を食べ続けてもなにも言われないし、食べたらすぐに煙草をすってお会計を済ませてお店をでて。ふらついて写真を撮って気楽の中にもなにか寂しさもありつつなんだかんだ一人旅(ほぼ)も楽しいものですね。

けれどやっぱり話しながら美味しいねとかコレは不味いとか、もう二度と食べたくないとか、こんな店一生来ないとか言える友人がいたらもっと「楽しさ」が増えるんじゃないかなと思います。早食いで結構食べ物をこぼしてしまったり、飲み物を倒したりすることもあるのでそれを注意してくれる人が誰もいないのも寂しいですね。
実家暮らしの時からご飯は皆んなで食べるものとなっていたのでワイワイガヤガヤするのがやっぱり恋しいです。
東京に住んでいた時もやっぱり何人もの友人を呼んでご飯を作って沢山食べて、ワインを開けて煙草を吸って喧嘩したり、この喧嘩したりってのがもう最悪なんです。
東京には同居人がいるんですけどこの同居人がまた変な人でして。一言口を開けば喧嘩の種をふっかけ合っています。同居人はご飯を作るのが上手なんですけど、味音痴の僕から言わせたら口に入ればどれも一緒になんですね。自宅に友人が遊びに来るとその同居人が手料理を振る舞うんですよ。みんな美味しい美味しいって食べて僕だけ普通に何も言わずに食べてると「お前には料理作るかいが無い」なんて言われます。
心の中では「今まで食べた中で〇〇番目に美味しい」と勝手にランク付けをしているんです。
僕は東北出身なので甘さが効いてるものだったり味の濃いものが舌に合うんですね。けど同居人は関西は関西でも大阪の方なんですよ。
いやもう騒がしい騒がしい「こんな甘いもん食うてたら死ぬんちゃう」、「関西は薄味やねん」、「ほんまなんも分かっとらんな」なんてアレコレと大人しくて物静かで優しい東北人に言ってくるもんだから東北の砂糖醤油で出来た血が煮えたぎりますね。
砂糖と言えばですけどよく頭を打った時に、ばあちゃんに砂糖水を頭に塗ってもらってました。今思うとあれはなんだったのか不思議です。あと不思議と言えばなんですけど涌井家には1つの何か摩訶不思議な伝統と言っていいのか独自の文化らしきルールみたいな儀式があります。母方の方の儀式の話です。
これは靴に関しての儀式です。
靴って中々の消耗品で僕なんかは1ヶ月あればボロボロに出来るってほど足が暴れ回ってます。なので靴を買う機会が少なからずある訳です。「新しい靴を初めて履く時は夕方に履いてはいけない、履くのならば午前中におろす」とゆうようなルールが存在します。
これだけでは終わりません。新しい靴の裏をフライパンの裏で擦り「汚す」とゆうような儀式が存在します。
その儀式の理由は「夕暮れには幽霊が出てきて新しい靴を引っ張っていき怪我をするから」だそうです。なのであえて汚して新品とバレ無いようにするんですね。
何だか自分で書いていて笑えてきました。
小さい頃から当たり前の光景だったので初めてそれを友達に見られた時は「何をしてるいるの?」って言われて逆に「え、やらないの?」ってなったような気がします。東京の自宅でも新しい靴を買ったらこの儀式は欠かさずやっています。
とこう色々な事で騒いだりして朝方までなんの話かわからない話を永遠としていたのも、なんだかんだ懐かしいです。

全てはバス次第

すごくアホっぽいタイトルんなんじゃないかと自分なりに感心しています。
スラウェシ島へ来ています。スラウェシュ島はコーヒーで有名なのでコーヒー好きな人はご存知かと思います。
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バリ島からスラウェシ島へ飛行機で1時間程の移動でした。
飛行機の乗客は僕と1人の白人を除いては全員がインドネシア人でした。けどインドネシア人に思われてたかもしれないです。1時間のフライトは思っているよりも早く、上がると下がりすぐに着いてしまいす。
日焼けしてから日本語で話しかけられる率が減りインドネシアではインドネシア語で話しかけられたりもしました。
コンビニで歯ブラシとヨーグルトを手に持ちレジでお会計を待っていたら、何かブツブツ言っていて最初は英語が聞き取れなかったのかと思っていました。
ん?みたいな顔をしていたら「あ〜ごめんなさい、インドネシア人かと思ってたわ」と店員に言われ終いには「タイから来てるんでしょ?」と言われ「ジャ、ジャパンです…」と言ったら彼女は大笑いしていまし
た。観光名所へ行っても台帳みたいなものが現地人用のものを渡されたり、バスに乗ったら隣に座ってたおばあちゃんの孫に思われたり。黒くなると楽しいですね。
黒さを手に入れると大抵のことは怖くなくなると思いました。
人ってやっぱり少しは肌の色でどこの人か判断している部分があってその国の平均した色と違うと、アレどこから来たの?ってなるんじゃないかと思いました。
だから多分この黒さで帰国したら同じようにアレどこから来たの?ってなるかもしれないです。
「現在午前4:34インドネシア、スラウェシ島の山の中の休憩所。バスの席が一番後ろでやや席に高さがあり足が軽く浮く状態で安定せずとてつもなく辛い。どうにか安定した姿勢をとるために足元付近にあるポケットに足を突っ込んでみたり、かけてみたりもするも安定せず。どうしても身体がずり落ちるような姿勢になってしまい険しい山道ではバスがジャンプする度ずり落ち目を覚ましてしまう。肩と腰がやや痛い。午前5時につく予定だが本当につくのだろうか。早く熱いシャワーを浴び、冷たいシーツのベットで頭にブランケットを巻いて横になりたい。ようやくバスが出た。山の中には白い外灯と月しか見えない。」
移動中のバスの中で書いていた文です。今みると大分疲れたんだと自分で思います。愛想のない文ですね。

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車内は宇多田ヒカルのTravelingみたいだったので思わず聴きましたけどTravelingってよりTerriblingでした。
ぜひ聞いてください。
 写真にも精がでる
 日曜の夜
 バスはすぐにはこない (乗れない)
 目指すは北
 「どちらまで行かれます?」
 ちょっと山まで
 「砂利道で困ります(寝れない)」
 シートに注意
 バスにまたぎ山へ登り
 僕の席は婆ちゃんの隣
 ふいに揺れて身体おちて
 牛の背の騎乗のごとし
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オンディーヌを迎える

 

 

熱帯の国タイのバンコクから約3時間のフライトでインドネシアのバリに先日入国しました。

カンボジアの乾燥する暑さ、タイの湿度の高い暑さに比べてインドネシアは風が気持ち良く気温も30度前後の軽い気候でとてもとわ言わないですが今までの国々と比べると過ごしやすいです。

インドネシアは去年行ったマレーシアと言葉が一緒なので挨拶や食べ物が同じであまりこれといって驚きなものはありませんでした。けれど言葉が一緒でも文化は違っていて面白いです。

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町のあちらこちらに彫像が置かれているんですがどれも立派で格好いいです。全体的に身体が筋肉質で目がパッと見開いて、腕や脚は強さを象徴するかのように大きく動きのある仕様になっています。

人の形をしていながら顔が鳥のガルダと言うインド神話に登場する神鳥がいます。なんとなく見たことあるなと思っていたんですが東京の自宅のトイレに飾ってありました。なの置物かわからないで飾っていましたが本当に迫力があってすごく格好いいんです。もう一体やや大きめのを買って帰ろうか迷っています。

 

バリは日本からの旅行客が多く、人々は日本語を話せる人が多いです。アナウンスや看板も日本語が多く見られます。

 

バリ島のビーチは仲々波があってサーファーがたくさんいます。僕自身サーフィンはやったことがなくて出来たらすごく面白そうだなと思います。波に乗る、波にの上に立ててとても気持ちよさそうだなと思います。
サーファー達を眺めていると沖からくる波をみてるんだなと分かります。その波を眺めている姿がなんだか凄く不思議です。
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ビーチから海を眺めている姿は人の海への憧れや本能的な何かがあるんじゃないかなと思います。それとは別にサーファー達が海に入りつつも海からもっと奥の海を眺める姿は海へ帰ろうと何かを待っている様にみえます。人魚とまでは言わないですがなんだか海へ帰りたいのかなって思います。