本校卒業生の横田大輔さんと、写真家宇田川直寛さんによるユニット「二人」の初の展覧『二人のショー』が、広尾のGallery工房親で2月1日〜29日に開催されました。 会期中に、その展覧会と作品について「二人」にお話を伺ってきました。聞き手は、本校講師の菅沼比呂志先生。

菅沼:今回展覧会にお邪魔して驚いたのは、作品の中心が映像作品でした。まずは、その映像について伺いたいのですが、いつ頃から、どんな経緯で撮り始めたのですか?

横田:撮り始めたのは、2018年の夏くらいかな。とにかく記録をしようと。写真だと音声とか抜け落ちるものが多いじゃないですか。映像だと回しっぱなしで、写真より多くの記録ができるから。

菅沼:それは何を記録しようとされたのですか?

宇田川:会話です。二人で八王子とか立川に意味もなく写真を撮り行って、ずっと話してたんです。俺らがやってることは何なんだろうって。その延長線上でVTRを回して記録を始めた。

横田:ある時、会話っていうもの自体が大事なものになっていくんじゃないかって思ったんです。基本的には写真って物にしなければ作品にならないじゃないですか。制作の為にたくさんのアイデアを出すけれど、その9割以上が作品化されることはない。けれどその無駄になってしまう時間ををなんとか肯定したい。この会話自体が思考の形跡で、作品には至らないけど、すごく重要なものだと。

宇田川:落語とかオチがあるじゃないですか。オチはみんな知ってますよね。話の結末はそんなに重要じゃなくて、そこに向かっていく道中を楽しむものだと思うんです。だから我々も道中をメインにしたものができれば、一番いいんじゃないかって。また、それを作品と言ってしまうと、オチになるから難しいところなんですけど。

横田:それは写真っていうものを考えていくことにもなるし、作っていく根っこのほうに解決されずに残っている問題みたいなものがあると思うんです。それを会話の中で探っていくというか、表に出してみる。解決するという訳ではないんですけど。

宇田川:作品が出来あがるまでの思考のステップを振り返る作業。どんどん話していくことで、どこで思考のステップが飛んでいるとか、ズレてるとか、明らかにしていくということを二人でやっているのかな。

横田:参考にしたのが、デヴィッド・フィンチャーの「マインドハンター」っていうFBIの犯罪者プロファイリングを題材にしたドラマなんです。型にはまらない猟奇的な犯罪が増え始めた時代の話で、FBIの中に精神分析専門の部署を作って、犯罪者たちと対話していく中で共通項を見出して、何故起きたのか、犯人はどういう人物なのかなどを分析していく話。これまでの枠にない犯罪の新しい類型をFBIが作るという話です。

菅沼:会場の横田さんのインタビュー映像の中で、どういう文脈の発言かは分からなかったけど、「俺の中には表現することなんかないからさ」というようなことを言ってましたけど、ドキッとしまた。切実さがあるっていうか、切羽詰まってる感じがした。今回はどんなことを考えてこういう企画になったのですか?

横田:何故、作品を作ってるかって問われたら、説明が難しいんですよ。基本的にニーズがないところでやってるから、自信をもって私はこういうもののために、これをやってるって断言はできない。それは、年齢的なものや時代的なこともあるとは思うけど、ちょっと難しくなっている。そこに一度向きあいたい。そこに埋まっているものがどういうものなのかを知っていく作業が、今、重要なんじゃないかって。それが「マインドハンター」の中の対話にすごく近いものなんじゃないかって考えたんです。

宇田川:アート・バーゼルで、バナナをテープで貼った作品が何千万円かで売れたことがあったじゃないですか。以前二人で旅したときに、それについて話したんです。その作品の評価っていうのは、作者がやってきたことの積み重ねじゃないですか。バナナとテープ自体にはそんなに意味がないし、なんだって別のものでもいい。作品がそこに至るまでの経緯、つまりその作者が考えてきたことの蓄積やそれまでの行動のほうが大事で、その上にこのバナナの芸がある。だから、俺らの会話の部分っていうのも、そこに至るまでのものとして提示できないかと思ったのです。作品の良さ、フィニッシュの美しさなど、芸術の市場での価値とは別の基準として。頭の中にある思想っていうもの自体を新しい価値として評価してもらえるようなことができないかって。それを今回の展示で挑戦できないかなと思ったんです。まず作品の前に思想がある。行動の前に思想があるっていうことですかね。

横田:それと、今回は出来るだけ作品っていうことで美的に仕上げないように二人で意識してたんです。エフェクトをかけたものや美的な要素を優先して構成せずに、どちらかというとドキュメントに近い感じでできないかって。本来個々の制作では削ってしまう可能性があるもので構成することを意識して、作品なんだけど、作品化させないっていう矛盾をやってみた。だから作品として強度があるかは自信ないですが。

菅沼:会場で二人が表裏に移された大きいスクリーンでインタビューを眺めてたら、二人の頭の中を見せられてる感じがしてきたんです。さらけ出すしかないと思っているのかなって気がしたんですがどうですか。

横田:実際、今、さらけ出すしかないっていう感じがあります。作品が行き詰まってる。他の作家を見てても、市場を考えるとベクトルがどうしたって同じ方向にいっちゃう。道具も限られてるし、環境もそうそう変わらないし。そうなったとき、人間にフォーカスしていくことになる。装飾されてないくだらない部分とか、人間らしさとか、そういったところに共感するっていうんですかね。そういうところがものすごく重要になってくるんじゃないかなって。今だからこそ、ああいうものをやっていくことに可能性があるのかなって思っています。

宇田川:作家が思いの丈をぶつけただけの作品であったり、逆にコンセプトが存在の証明のようなふりをしている作品であったり、恣意と作品の成立に潜む嘘臭さが気になっています。そういうことを作家や関係者がどう共犯的に処理して、アートの世界が回っているのかっていうことに興味がある。そのステップを自分の中で明るみにしていくことで、もう一回考え直すべきなのか、新しい方向を探すべきなのかというのが気になる。だからこういうのがあっていいんじゃないかって思います。

菅沼:今回の会場には写真が少なくて、モニターが多くて、一見雑然と重ねられたように見える。会場構成はどんな風に考えましたか。

横田:ただ飾るっていうこととか、うまくいかない部分だとか、いたしかたなくこうなってしまうという部分を採用したところはあります。割と物の置き方って空間に応じて受動的に決定されるじゃないですか。例えば、家の家具の配置とか。

宇田川:そうなんです。ここにしか冷蔵庫置けないとか。洗濯機ここにきちゃったかみたいなことが、好きなんですよね。

横田:所謂、自分たちの中でのおさまりってやつなんですよ。本当は会場に持っていったものを全部均一に配置したかった。梱包材も置いていきたかったけど、さすがにあのスペースに全部置いていったらゴミ溜めみたいになってしまう。そういう配置をしていくっていう行為が、自分たちが制作して見せるっていういやらしさを抜いていく作業にもなるから、そこは大事にしていきたい。例えば、NHKの深夜に流れてるような風景動画って見せられるものじゃないですか。カメラマンが撮った美しくみせたいものを僕たちは見せられてるからそこにはスキがない。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ制作の大泉洋出演の旅番組)が好きなんですけど、ああいう映像って出演者のやりとりを楽しむものだけど、出演者が疲れて切ってる時って沈黙になるじゃないですか。そういう時に不意に背景の風景が前面に出てくる。おそらく見せるための風景ではないから、出演者が黙ることによって立ち上がってくる背景。その見せる見られるっていう構造を考えたときに、見せるものではない、見てしまった、見ちゃったみたいな、僕らの見せる意識からずれたところをいかに呼び込むかっていうのを大事にしたい。

菅沼:個人での制作と「二人」での制作は、どんな風にやりくりしてますか。

横田:俺は、完全に自分の制作の行き詰まりを抜け出す別ワーク。だから重要な関係性ではあります。

菅沼:それは、サラリーマンが夜赤ちょうちんに通うみたいなことですか(笑)。

横田:そんな感じなのかな。どっちが赤ちょうちんかはわからないですけど(笑)。やっぱり二面性がないとだめじゃないですか。一本道だとつぶれちゃう。そのための別のルートを探るための実験の場ではありますね。

宇田川:俺は、自分の制作はある程度自分でコントロールできて、ものすごくやりやすい。何を悩めばいいか自分で知っている。だから自分がやらないとわかっているものは徹底的にやらない。VTRとか撮らないし、音も使わない。そういう本来なら自分に関係のない悩みみたいなことをやってく作業が面白いですね。自分がやらないゲームを真剣にやって悩む感じかな。

菅沼:これまでお話伺っていて、プロセスが大事なことは分かったのですが、答えは出るものですか?

宇田川:答えじゃなく、理解、発見が大きいですね。

横田:多分、答えを出そうとしてないですね。そういう思考で考えてない。

宇田川:答えを出す重要性をあまり考えてない。それより、ただ理解していくこととか、ただ考えていくことの方が大事。今更答えを用意してないし、そこにいこうと思ってないですね。

横田:多分ものを作るって、答えを見つけるプロセスだと思うんです。最終的に終わりは来るし、自分からは離れていく。残るとすれば、一つの答えというか、それが作品という形をした既成事実だけじゃないですか。けれど会話をしていくことって、物に変換しない状態のものですよ。だからそこに答えはないけれど、その代わりにおそらく理解はある。だから、理解を答えとするのかなあ。発見があったらうれしいけど、それは会話する中での副産物にすぎない。会話を続けるための要素にすぎないから、この運動を続けていくことかな。目的は。

(左から、菅沼比呂志先生、宇田川直寛さん、横田大輔さん)

宇田川直寛・横田大輔によるユニット「二人」写真展
「二人のショー」(Two People Show)
2020年2月1日〜 29日: Gallery工房親

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