過去・現在・未来の視点から、ひとりの写真家の軌跡に迫る。
誰かの「選択」に触れるとき、自分の輪郭が立ち上がる。
写真家の過去・現在・未来を紐解きながら、「どう生き、何を見つめ、何を未来へ手渡そうとしているのか」を探るトークシリーズです。
三つの時間軸を往還しながら、ひとりの表現者の軌跡に迫ります。作家本人の声に耳を傾ける回。あるいは、専門家が時代背景とともに、その視線や思想を読み解く回。シャッターが切られる「瞬間」の背後には、その人が積み重ねてきた膨大な時間と、無数の選択があります。
ここで語られるのは、写真の話であって、写真だけの話ではありません。
一枚の写真の向こう側にある、プロフェッショナルとしての生き方や価値観。それに触れることは、私たち自身の見えない未来を照らし出すことでもあります。無数の選択の軌跡をたどり、次の一歩を考える。そんな時間が、ここにあります。
【登壇:公文健太郎】人と土地の営みを見つめ、そこに生きる人々の姿を写し出す
今回取り上げる写真家は、公文健太郎氏。
国内外のさまざまな地域に足を運び、そこに暮らす人々と時間を重ねながら撮影を続けてきた公文氏。
農村や山間部など、日々の生活が営まれる場所を舞台に、自然や社会の変化と向き合いながら生きる人々の姿をとらえてきました。


写真の仕事をとおして日本の地方を旅することが増えた。
そんな旅のなか、時としてふと立ち止まり、眺めてしまう風景があった。
僕の場合、それは自然が織りなす雄大な景色ではなく、人の営みがつくる風景であることが多かった。
みかん畑に囲まれた山あいの集落。美しく積み上げられた石垣で層をなす段々畑。夕日に照らされた田園風景。そして静かな風景に囲まれ農作業に勤しむ人々の姿が、時間の流れを感じさせてくれた。そんな風景に感動するたびに、「日本の風景」は「農業の風景」なのだと気付かされた。
――公文健太郎 『耕す人』より


Bundu Tuhan はこの地域に暮らすドゥスン族の言葉で「落ちた果実」であったり、「滑り落ちた地面に立ち続けた木」を指すという。マレー語が意味する「神の恵み」と、ドゥスン語の「空から降ってきた果実」や、地滑りの後も立ち続けた「実のなる木」。どちらが正しいということではなく、僕はそれらの言葉に不思議なつながりを感じずにはいられなかった。(中略)
「落ちた果実」のことも、いつかは語られなくなるのかもしれない。
ただ、一方で人々の持つ価値観がいかに変わろうとも、大いなるものから得る恵みに生かされているということは、人々の意識からなくなっても変わらずあるものだと思う。
――公文健太郎 『Dropped Water, Dropped Fruit』より
今回は公文氏がこれまで発表してきた作品集を辿りながら、写真を通して見つめてきたもの、そして現在の表現に至るまでの歩みを読み解いていきます。
登壇者プロフィール


写真を学ぶ方はもちろん、表現やものづくり、人生の選択について考えたい方にもおすすめのトークイベントです。皆さまのご参加をお待ちしております。
■開始時間 13:00
■終了時間 14:30
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| 開催日 | 来校型 | オンライン |
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10/4(日) |
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